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音楽エッセイ

さよならピアノソナタ2曲目解説

 旧ブログ消滅にともない、過去作の解説記事を書き直し中。
 ネタバレの記事なので未読の人は下のアフィリエイトをクリックして買って読んでから続きを読みましょう。

 この巻には歴史的価値がある。なぜかというと、僕が池袋で仕事場を借りるようになってから最初に書いた一本だからだ。といっても当時はまだ府中市に住んでいて、片道50分の電車通勤だった。著者プロフィールに書いてある引っ越しというのも府中市内での引っ越しである。この後、一年とたたずに池袋に転居する。ほんとうに馬鹿馬鹿しい無駄遣いをしたものだ。
 読者に全然関係のない話はさておいて、この『さよならピアノソナタ2』はシリーズ中最も苦労した巻でもある。だいたいにおいてシリーズの第二巻はいちばん難しい。初巻は設定を話の筋に合わせていくらでも調整できるし、三巻以降は初巻→二巻→というベクトルが生まれているので考える範囲が狭まって楽になるのだが、二巻はそのどちらのメリットもない。選択肢は無限にあるくせに制約もしっかりあるので手間ばかりかかるわけだ。それに、そもそも『さよならピアノソナタ』はシリーズにすると決めて書き始めた話ではない。単発ものとしても成立するように初巻を書いた。続編といっても物語のエンジンは最初から暖め直さなければならない。
 そんなわけで、前巻における唯一のバンドセッション曲を話の出発点に持ってくることにした。

Kashmirレッド・ツェッペリン
Kashmir (Live) - Celebration Day (Live At O2 Arena, London)

 エビチリに聴かせたテープの曲だ。
 お読みいただければわかるとおり、第一巻はバンド小説ではない。バンドで全然演奏していないからだ(結成する前の話だから当たり前なのだが)。第二巻からがバンド小説である、という決意表明も込めた選曲である。
 Kashmirは2007年の一夜限りの再結成コンサートの演奏がほんとうに鳥肌が立つくらい素晴らしいので、今回はそちらをアフィリエイトした。プラントの声など全盛期よりも伸びがいい。ギターが一本の演奏なので、シンセサイザーのパートがよく聴き取れると思う。そちらのパートが、作中では真冬が弾いているパートだという想定である。

交響曲第9番ホ短調新世界より》(ドヴォルザーク
Symphony No. 9 in E Minor, Op. 95,

 真冬とナオが夕暮れの橋の上で聞いた市内放送の曲。第二楽章のコーラングレの旋律はドヴォルザークの最も有名な一節だろう。歌曲にアレンジされて広まっているのでドヴォルザークと知らずに節回しだけは記憶している人も多いかもしれない。
 この交響曲は有名曲だけあって星の数ほどの録音が存在するのだが、僕は終楽章の締めくくりの終止音で好みかどうかを判断することにしている。全合奏でジャンと終止した後で管楽器だけが音を伸ばし続けてデクレシェンドするように指示された実に独特の終幕で、僕はこの部分を聴くといつも夕陽に向かって飛んでいく鳥を見送る光景を思い浮かべてしまう。ここの「音の抜き方」がいちばん絶妙なのがカラヤンベルリンフィルとの録音をここではおすすめする。

・The Endless Enigmaエマーソン・レイク&パーマー
The Endless Enigma (Part One) - TRILOGY

 千晶が部屋に入ってきたときにナオが聴いていた曲。伝説的なキーボードトリオEL&Pの4thアルバム(『展覧会の絵』を3rdとして数えれば)である『トリロジー』のオープニングを飾る曲で、中間部にすさまじいフーガが挿入されている。EL&Pの中ではいちばん好きなアルバムなのだが、たいへん評価が低い。なんでだろう。The Sheriffのエンディングのピアノソロとかほんとすごいのに。和声的にポップで聴きやすい曲ばっかりだからだろうか。

Hotel California(イーグルス
Hotel California - Hotel California

 神楽坂と千晶とナオだけで部室で練習した曲。イーグルスの代表曲。
 流行り廃りが常の音楽の世界にあって、ごくごくまれに「永遠に新しい曲」というものが生まれてしまうことがあるのだが、この歌はまさにそれだ。いま聴いても新しい。たぶん永遠に新しいだろう。
 ギターが何本オーバーダビングされているのかについては諸説あり、13本ではきかないという意見もある。僕の貧弱な耳では残念ながらまったく見当もつかない。

ブランデンブルク協奏曲第5番ニ長調(バッハ)
Brandenburg Concerto No. 5 in D Major, BWV 1050: I. Allegro - Glenn Gould in Concert (1951-1960)

 真冬が音楽準備室でひとりで弾いていた曲。大バッハが六曲まとめて作った合奏協奏曲で、ブランデンブルク伯に献呈されたためにこの通称で呼ばれている。この時代の「協奏曲」は後世のそれとはちょっと性格がちがっていて、オーケストラは小規模だしソロパートをつとめる楽器も複数あることが多かった。そんな中、第5番ではなんとチェンバロがソロを受け持っている。当時のチェンバロは音量が小さくてとても協奏曲の主役を張れる楽器ではないと思われていたのだが、バッハは新型のかなり音量が出るチェンバロを手に入れ、大喜びでチェンバロ主役のこの曲を書いたようなのだ。「史上初のピアノ協奏曲」なんて呼ばれることもあるがさすがに誇大広告というものだろう。
 せっかくなのでグールドの演奏をアフィリエイト。真冬が弾いていたのは6:57からの長大なカデンツァの部分。

・海へと(奥田民生
海へと (LIVE SONGS OF THE YEARS Ver.) - OKUDA TAMIO LIVE SONGS OF THE YEARS

 合宿に行く道で弘志がかけていた曲。もともとは奥田民生PUFFYに提供した曲だが、お気に入りのロックナンバーで、自分でもよくライヴで演奏している。そんなライヴ音源をアフィリエイト。これはもう完全にタイトル優先で選んだ曲。しかし文句なくかっこいい!

・He-Man Woman Hater(エクストリーム)
He-Man Woman Hater - Pornograffitti

 合宿の練習で演った曲。
 実はこの曲こそが『さよならピアノソナタ』の出発点、つまり、「クラシックをエレクトリックギターで弾く」という真冬の演奏のイメージの原型となった曲である。イントロのとてつもなく長いギターソロの後半、ライトハンド奏法になる部分をはじめて聴いたとき、「和声進行がなんかクラシックっぽい……」と感じたことが僕の中にずっとこびりついていて、長い長い年月を経てこの小説の基本アイディアにつながった。(実際このイントロはリムスキー=コルサコフの『熊蜂の飛行』をもとにしているのではないかという説もある)
 僕は実のところエレキによるクラシック曲の演奏を聴いて良いと思ったことが一度もない。真冬のプレイはまったくの概念上だけの理想だ。その理想の糸口は、しかし、エクストリームにある。
 なにかとイントロばかり注目されがちな曲だが、リフがほんとうにかっこいい。ギターリフの最高傑作のひとつだと思う。ヌーノ・ベッテンコートは「緩急の妙」を実によく心得ている。

・イスラメイ(バラキレフ
Mili BALAKIREV: Islamey - keleti fantázia zongorára - Oriental Fantasia for piano - Great Hungarian Musicians

 神楽坂が真冬の家から盗み出してきたテープの曲。バラキレフといったらこれ。そして「世界一難しいピアノ曲」といったらこれ。だいぶ看板が独り歩きしてしまっているきらいはあるが、バラキレフが寡作かつ指導者として優秀だったこともあって、今でも崇められ続けている。

・The Last Resort(イーグルス
The Last Resort - Hotel California

 ライヴのオープニング曲にして、この巻のクライマックス曲。
 僕はこの曲の存在を、すでに中学校時代に知っていた。とある体育教師が保健の授業のときに、コンドーム装着法についてたっぷり40分しゃべった後でこの曲の話をしてくれたのだ。どういうつながりでイーグルスの話題になったのかはまったく憶えていない。「イーグルスのアルバムの最後に入ってる曲で、すごくいい曲なのだ」というようなことを言っていたことしか記憶にない。なんと、曲名もアルバム名も憶えていなかったのである。それでも、十年以上たってアルバムHOTEL CALIFORNIAを買って最後まで聴いて、すぐにわかった。先生が言っていたのはこの曲だ、間違いない、と確信できた。それくらいすさまじい存在感を持つ曲なのだ。
 歌詞の最後の一節"kiss it goodbye"は作中にも登場させたが、どう訳していいのか今でも悩んでいる。意味としては「惜しみながらも別れを告げる」というニュアンスなのだが、真っ正直に訳したのでは風情もなにもあったものではないし……。

ピアノソナタ第30番ホ長調ベートーヴェン
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 Op. 109 - III. アンダンテ・モルト・カンタービレ・エド・エスプレッシーヴォ -変奏 I - VI - ベートーヴェン: ピアノソナタ 第30-32番[グレン・グールド/ナクソス・ヒストリカルシリーズ]

 前述のThe Last Resortの伴奏に使われた真冬のピアノ演奏曲。第三楽章の最初の小節からスリーコードをサンプリングして切り貼りしてピアノ伴奏に仕上げている、という想定で書いた(The Last Resortとほぼ同じ和音で始まるのが聴き比べればわかると思う)。実際にやってどうなるのかはわからない。
 グールド最愛のベートーヴェンソナタなので、つまり真冬にとってもいちばん好きな曲だという設定になっている。

・Desperado(イーグルス
Desperado - Desperado

 最後にナオ抜きの三人で演奏していた曲。
 実のところ、僕はイーグルスがそこまで好きではない。この巻に登場させた三曲は、だから、イーグルスの中では「特別に好きな曲」だ。あと気に入っているのはNew Kid in Townくらいだろうか。他の曲はあんまり聴かない。一冊丸ごと通してテーマ的に扱っているのを見てひょっとしてイーグルスファンなのかと思われてしまうとちょっと困るので、ここで謝っておく。つまみ食いですみません。

平均律クラヴィア曲集第2巻第1番ハ長調(バッハ)
Prelude & Fugue No. 1 in C Major, BWV 870: Fuga - Bach: The Well-Tempered Clavíer, Book II, BWV 870-877

 あとがき曲。前巻に出てきたのは第1巻の最初の曲、一方こちらは第2巻の最初の曲。全体的に第2巻の方が充実していて聞き飽きない。
 この演奏を収録したレコードを載せたボイジャー1号は現在、160億kmの彼方の宇宙空間を、まだ見ぬ地球外生命体の星へ向けて、なお航行中だ。異星人もこの美しさを理解することを願ってやまない。

       * * *

 "feketerigó"の発音はこれこれを聴けばわかるとおり、「フェケテ・リゴー」だ。「オランダ生まれのハンガリー人なのでgが濁らない」なんていう屁理屈をこねてまで「フェケテリコ」という読み方にしたのは、単純にそう読んだ方が(日本人としては)字面も音も綺麗だからだ。ハンガリーのみなさんごめんなさい。
 クロウタドリはドイツ語では「アムゼル」、スペイン語・イタリア語では「トゥルドゥス・メルラ」、フランス語では「メッル・ノワ」……。どれもバンド名としてはしっくりこない。真冬の母親をハンガリー人という設定にしておいてほんとうによかった、と思う。