旧ブログが消えたので、さよならピアノソナタや楽聖少女の解説記事がデッドリンクになってしまった。そこでこちらのブログでこつこつと書き直すことにする。当然ながら小説もアフィるので一石二鳥だ。ネタバレ全開の記事となるので、未読の人は下記のアフィリエイトをクリックして購入して小説を読破してから記事の続きを読みましょう。
なんと、もう六年も前の本である。思えば遠くに来たものだ。
僕がはじめて書いた音楽ものなのだが、実は前身となるボツ企画があった。トラブルを抱えた音楽少女を少年が助ける……という構図は同じだったけれど、とにかく地味で、いま企画書を読み返してみてもほんとうにどうしようもない話だ。ボツを告げた後で編集さんは言った。とにかく、ヒロインのキャラは強烈に憧れてしまうようなものでなくてはいけない。うむ、なるほど。よろしい、やってやろう。憧れる要素を極限まで詰め込んでやろう。
物語を組み上げていく手順はいくつもあるが、『さよならピアノソナタ』はキャラから出発する創り方だった。真冬というキャラ、具体的には「ギターも弾きこなす天才ピアニスト」という設定がまずあって、そこから「なぜピアニストがギターを弾いているのだろう」という自問自答を経て話を広げていったわけだ。当然、どんな曲をギターで弾くのかと考えたとき、ピアノ曲という案がまず出てくる。
・ハンガリー狂詩曲第2番嬰ハ短調(リスト)
ギターで弾くピアノ曲ではったりが利くものとして最初に思いついたのがこれだ。真冬が練習室で弾いていた曲である。同音連打の上を旋律が跳ね回る主部はギター一本で弾ければたいそう映えることだろう。
リストのピアノ曲は今までだれの演奏を聴いてもしっくりこなかったのだが、辻井伸行の信じられないくらい柔らかい演奏に出逢ってはじめて「これだ」と思えた。おすすめ。
・練習曲第12番ハ短調"革命"(ショパン)
次に真冬がギターで弾いていたのがこれ。こちらはそこまでギター映えしない曲だと思う。それなのになぜ採用したのかといえば、もちろんこの場面が革命家・神楽坂響子の初登場シーンだからだ。このような、音楽的にはベストとはいえないが物語的にはこれしかない、という選曲はこれ以降も頻出する。
続いて、この小説のロックの側を象徴するのがこの曲。
・Roll over Beethoven(チャック・ベリー)
ナオが教室で聴いていた曲だ。CDウォークマンで聴いているところが時代を感じさせる。当時僕がまだiPodを持っていなかったせいもあるが、「CDを見つけて取り出す」というアクションがあった方が作劇上の効果が高いからという都合もあった。
チャック・ベリーは文字通りロックンロールの生ける伝説で、この曲も、おそらくカバーで聴いた人の方が多いのではないかと思われる。もちろん僕も最初に聴いたのはビートルズ版だった。
・Kashmir(レッド・ツェッペリン)
そしてナオが最初にセッションする曲がこれ。僕がツェッペリンでいちばん好きな曲だが、そういう理由でここで採用したわけではなく、たぶんD音を八分音符で刻んでいるだけでそれなりにかっこよくなるだろうなと思ったからだ。もちろん実際にはジョーンズはもっと複雑なことをやっている(というかこの曲でいちばん難しいのはおそらくベースである)。ジャムセッションのための曲として非常に便利なのでこの後の巻でも何度か登場する。
・Revolution(ビートルズ)
神楽坂が屋上で弾いてみせた曲。これも題名先行の選曲、というか、ジョン・レノン=革命家というイメージを作中で強調するために持ちだした曲だ。ホワイトアルバムに収録されているクソ遅いバージョンもあるが、ここでは速いバージョンで弾いている。ベースではどう弾いたって様にならないと思うが、そのへんはフィクションの美しい嘘ということで納得していただきたい。
・Stand by Me(ベン・E・キング)
ナオが屋上で練習した曲。作中に書いた通り、世界で最も有名なベース・リフを持つ曲である(異論が百出することが予想されるがすべて間違いであると断言できる)。あまりにもベースラインが有名なので、後に数え切れないほどカバーされているのだが、ほとんどのアーティストはこのリフを使っていない。使うと原曲を超えられないとわかっているからなのだろう。
・エロイカ変奏曲(ベートーヴェン)
ナオと真冬の対決曲。ベートーヴェンがとくに偏愛し、その生涯で四度にも渡って使い回した旋律の、三度目の使用例がこの曲となる。
この曲が、さよならピアノソナタ第1巻の核となった。この曲をめぐるロジックを思いついたとき、この話はいける、書ききれる、という確信を持てたわけだ。そのロジックは作中で神楽坂が詳しく解説しているのでここでは割愛する。主人公がベーシストでなければならなかった理由もエロイカを弾いて勝つという戦術のためだ。
ひとつだけ心残りがある。それは、チューニングを半音下げにしてホ長調で弾いてもあまり弾きやすくならないということだ(だれからも指摘されなかったので気にしているのは世界中で僕だけみたいなのだが……)。とにかくE♭とその四度下のB♭の音が頻出するので、「半音上げチューニングにしてニ長調」で弾く、と書くべきだった。
・Layla(デレク&ドミノズ)
千晶が窓から侵入してきたときにナオが聴いていた曲。今読み返してみたら作中に曲名が出ていなかった。でもまあデレク&ドミノズの曲でいったん静まってピアノリフが始まる曲なんてこれしかないのでみんなだいたいわかったと思う。
この曲、なぜかチューニングが通常よりかなり高めなので、CDに合わせてピアノを弾いても音が合わない。哀しい。
・ヴァイオリン協奏曲第1番《春》(ヴィヴァルディ)
廃品回収業者のトラックが流していた曲。イ・ムジチ合奏団のこの曲集は、おそらく日本でいちばん売れたクラシック音楽のレコードではないだろうか。学校の校内放送や音楽の授業などで聴いたことがある人も多いだろうが、かなりの確率でイ・ムジチ版だと思う。日本人のヴィヴァルディ観は彼らがつくってしまったといっても過言ではない。
・Hey Jude(ビートルズ)
山の中を歩いているときにナオが口ずさんでいた曲。言わずと知れたビートルズ最大のヒット曲。これも歌詞先行の選曲である。こんな曲を伴奏もなしに女の子を担いで切れ切れの声で歌って「まし」に聞こえるわけはない。文章だからゆるされる暴挙だろう。
・平均律クラヴィア曲集第1巻第1番ハ長調(バッハ)
真冬がゴミ捨て場で弾く曲。クライマックスなので、こちらはイメージ優先で選曲した。フーガを含むことや白鍵の多い曲であることは条件としてあったが、このシーンを書き始めるだいぶ前からすでに選曲は固まっていた記憶がある。
・Blackbird(ビートルズ)
夜明けにナオが歌っていた曲。この小説の、ひいてはシリーズ全編を通してのテーマソングとして選んだ。後に自分で練習してみて知ったことだが(そしてポールの実際の演奏を見て確認したが)、この曲のギターはスリーフィンガーではなくツーフィンガーだった! G音の十六分音符の連打は人差し指のアップダウンで弾くのである。僕の当時の音楽知識の未熟さを象徴する記述だ。読み返すたびに恥ずかしいが、自戒のためにも重版訂正せずそのままにしてある。
・ピアノソナタ第26番変ホ長調《告別》(ベートーヴェン)
最後に真冬から届くテープに入っていた曲。「さよならピアノソナタ」という題名の由来になった、ベートーヴェン中期の名曲。この時期のベートーヴェンにしてはあり得ないくらい素直な曲で、第一楽章・第三楽章とも第二主題を属調(変ロ長調)にとった実に模範的なソナタ形式で書かれている。根拠のない想像だが、ルドルフ大公に弾いてもらうためにある程度やさしく書いたのかもしれない。
この曲が登場するエピソードは初稿には存在しなかった。小説の題名も「さよならピアノソナタ」ではなく、前述のBlackbirdからとった「クロウタドリの歌」だったのである。これに編集さんが「地味だ」と難色を示し、僕は反発したものの、二週間ほど呻吟したあげく、真冬からテープが届く展開を付け足し、現在のタイトルを提案したのだ。今になって振り返ってみればどうして反発したのか自分でもわからないくらい当然の指摘であり、タイトルを変更してほんとうによかったと思う。
・ピアノ協奏曲ニ長調(ラヴェル)
最後に回してしまったが、真冬が最初にナオとゴミ捨て場で出逢ったときに弾いていた曲。物語のはじまりになったアイディアで、存在自体がネタバレなので最後にご紹介する。片手だけだからといって音が薄っぺらくならないようにと実に巧妙に創ってある曲なのが聴いていただければわかると思う。
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ところで以前の記事に登場したK君だが、彼はキッチンガイズファクトリーという会社に勤めており、僕がこの『さよならピアノソナタ』執筆当初「こんな小説をもうすぐ出すんだよ」と話したら「うちの会社からそっくりの設定のエロゲ出るよ!」と驚かれた。ベーシストの男が主人公で他に女の子が三人出てきてバンドを組む話なのだそうだ。「企画はうちが早いからそっちがパクリだ!」「発売はこっちが早いからおまえがパクリだ!」などと冗談で言い合ったものである。なにもかもが懐かしい……。