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音楽エッセイ

「聴いてはいけない」から始めるクラシック入門

「クラシックってなにから聴けばいいの?」

……という質問を、これまでにたくさんぶつけられた。

 

さよならピアノソナタ』を書いて以降、なんかクラシック音楽に詳しい人間だと思われてしまったらしく、作家同士の飲み会などでことあるごとに訊かれる。

これほど返答に困る質問もない。範囲が広すぎる。

たとえば日本に一度も来たことがない外国人に「今度日本行くんだけどおすすめはどこ?」と訊かれたら、まあなんとか答えようもあるだろう。とりあえず京都行っとけ、とか。

しかし地球に一度も来たことがない異星人に「今度地球行くんだけどおすすめはどこ?」と訊かれたらさすがに答えに詰まるでしょう? そういうことです。

 

で、最近、考え方を変えた。

範囲が広すぎて案内のしようがないなら、「最初に聴くべき曲」を案内するのではなく、むしろ「最初に聴いちゃだめな曲」の範囲を示して、選択肢を大幅に省いてやる方がいいのではないだろうか?

このアイディアをもとに、『楽園ノイズ4』の第4章を書いた。

最初はこの「聴いちゃいけない、から始めるクラシック入門」のネタだけで1章分まるまる稼いでやろうともくろんでいたのだが、さすがに話が進まなすぎるので断念。用意していたネタがほとんど無駄になってしまった。

 

もったいないのでブログで再利用する。

 

聴いてはいけない(1):歌曲

クラシック音楽は電力の発明が人間社会に大改革を引き起こす前の時代のもの。その頃はまだ、「拡声」という技術が存在しない。人間の声を他の楽器に埋もれないように目立たせるために、人間離れした訓練による超絶発声法を用いていた。必然的に、歌声は話し声とはかけ離れる。クラシック初心者にとっては、人間の声といういちばんなじみ深い音がすさまじく異質な使い方をされているので、聴いていてとても疲れる。

ということで歌が入っている曲はすべて聴いてはいけない

クラシックでも歌はやはり音楽の中心分野なので、声楽を省くだけでぐっと範囲が狭まって選択が楽になる。

 

聴いてはいけない(2):ウィーン古典派

クラシック音楽ときいて一般人がぱっと思い浮かべるのがモーツァルトとかベートーヴェン、いわゆるウィーン古典派だろう(クラシック音楽の作曲家を挙げろと言われてバッハ・モーツァルトベートーヴェン以外の名前がすぐ出てくる人は、クラシック初心者ではないか、あるいはなんかのスマホゲーで出てきたから憶えているだけだ)。

ウィーン古典派はクラシック音楽の基礎を手探りで少しずつ固めていた段階なので、歴史に残る大傑作も多い一方で駄作も多い。なにも知らない初心者が聴くにはあまりにも打率が低い。したがってモーツァルトベートーヴェン聴いてはいけない

 

聴いてはいけない(3):バロック音楽

楽器もまだ発展途上だったバロックの時代は、調性音楽も確立されたばかり。音楽界は未踏の処女地ばかりだったので、みんな実に無邪気に「聴いていて心地よい音」をひたすら並べて曲を作った。これを現代人の我々が聴くとどういう印象を受けるかというと全部同じに聞こえる。だからバロック以前の音楽はすべて聴いてはいけない

(バッハやヘンデルがなぜ現代まで弾き継がれているかというと、時代の最後発でそれまでの技術のいいところを総取りできた――というアドバンテージはあるかもしれないけれど、本質的には、彼らが卓越したメロディメイカーで、心に残るフックのある旋律を作れたからだ)

 

聴いてはいけない(4):ドイツ系ロマン派

ヴァーグナーブラームスを筆頭に、シューベルトシューマンブルックナー、Rシュトラウスマーラーなどは、長くて仰々しくて暗くて聴くのが疲れる。それから総じてベートーヴェンに崇拝とか劣等感とか幻想とかを持ちすぎている。聴いてはいけない

 

聴いてはいけない(5):短い曲

前項と矛盾しているようだが、短ければいいというものでもない。というか、1曲3分~5分くらいが当たり前の現代からすると、クラシックの曲はどれもむちゃくちゃ長いでしょう。ちゃんと理由がある。

クラシック音楽の時代には、録音技術がなかった。楽譜の売り上げだって微々たるもの(というか出版社が一曲いくらで買い上げる形式が多かった)。音楽家が儲けるには演奏会で一発当ててヨーロッパ各地で再演しまくるしかなかった。一晩の楽しみを提供するからには曲にそれなりの長さが必要なので、短い曲に全力を傾ける作曲家なんてほとんどいなかったのだ。

クラシック入門と称して短い有名曲ばっかり寄せ集めた曲集がよくあるが、全然だめ。短い曲ばかり聴いてはいけない

 

聴いてはいけない(6):20世紀以降のもの

クラシック音楽は時代を経るにつれてそれまでの形式を破壊して難解な方へと進化し、ついには悪名高い現代音楽という深海に沈んでしまうのだが、厄介なことに、同じ作曲家でも最初はわかりやすい音楽をやっていたのに晩年わけわかんなくなるという例が数多い。作曲家で分けるよりは年代で分けた方が実情にそぐいやすい。ということでざっくりと、20世紀以降のクラシック音楽はわけわからんので聴いてはいけない

 

さあ、これで絶望的なまでに広かった地図もだいぶ塗りつぶされて行き先を選びやすくなったはずだ。

ここで記事を終えてもいいのだが、このままだと大人気作曲家をdisりまくって方々に喧嘩を売っただけに終わってしまうので、上記を踏まえて僕が本気で考えたクラシック初心者への最適入門ルートを挙げていきたいと思う。

おすすめは、ドイツ系から影響を受けつつも中心地からやや離れた中欧・東欧の、19世紀に活躍した作曲家。具体的にいえばショパンチャイコフスキードヴォルザークラフマニノフの四人だ。

 

おすすめ(1):ショパン

ショパンの特長はなんといってもピアノ曲しか書かなかったところ。完全に自分の得意分野の中だけで活動したという点に加えて、書いた曲のうち自分で出版した曲の割合が非常に少ない。自作への審査基準がたいへん厳しかったのだと思われる。つまり駄作率がめちゃくちゃ低い(おそらくクラシック音楽史上、最も駄作率が低いのではないかと思われる)。さらにはほとんどが単楽章の曲なので長さもほどよく、クラシック音楽初心者に自信を持っておすすめできる。

ポロネーズ第6番変イ長調"英雄"

ショパンの魅力全部入りのこの曲からどうぞ。すごいことをやっていてちゃんとすごく聞こえるのにまったく嫌みがない希有な曲だ。出てくるメロディすべてが美しく、シンプルな三部形式ながらも主部にポロネーズが挟み込まれていたりと巧妙な深みが加えられていて7分間まったく飽きさせない。

 

おすすめ(2):チャイコフスキー

ロシア音楽がなんとか独自性を獲得しようともがいていた時代に、あまり民族音楽に引っ張られず、西欧のイケてる流行をしっかり吸収して自分のものにしたのがチャイコフスキー。ドイツ系音楽の良いところだけ選んで受け継いだのでまったくの理想的なメジャー感を手に入れ、その後のロシア音楽の本流となった。

だから初心者にもおすすめしたいが、チャイコフスキーにはひとつ大きな罠がある。超有名でおすすめされやすいピアノ協奏曲第1番が、実は全然初心者向きではないのだ。これは聴いてはいけない。聴くならこれだ。

弦楽のためのセレナーデ

弦五部のみの編成に、均整のとれた四楽章。一音符の無駄もない、という表現がまさにふさわしい。弦だけなので、オーケストラ曲はちょっと重たい、と感じてしまう初心者のステップアップとしても最適。
超有名な旋律も合計三回も出てきてお得です。

 

おすすめ(3):ドヴォルザーク

チャイコフスキーと同年代、チェコでも同じように自国の音楽を確立しようという動きがあり、その中でやはり西欧のメジャーシーンをしっかり意識したのがドヴォルザークヴァーグナーにかぶれたりブラームスに心酔したりチャイコフスキーと仲良くなったりアメリカに渡って現地の黒人音楽を学んだりと多彩な音楽遍歴を持つが、ぶれなかったのはその卓越したメロディメイカーぶりのおかげだろう。

スラヴ舞曲のような短めの単楽章の名曲も数多く残しているが、ショパンチャイコフスキーを通過してクラシックに少し慣れてきたならやはりこれを聴いていただきたい。

チェロ協奏曲ロ短調

交響曲オールタイムベストは? とか、ピアノ協奏曲オールタイムベストは? とか、ヴァイオリン協奏曲は、ピアノ独奏曲は、オペラは、とか、クラシック音楽ファンはとかく「オールタイムベスト」の話題が大好きで、そしてどの分野でもだいたい結論は出ずに終わるのだけれど、こと「チェロ協奏曲オールタイムベスト」に関してはほぼ異論も出ずこの曲で決まるだろう。ぐうの音も出ないマスターピース。協奏曲だけれどオーケストラがチェロの引き立て役に終わらず、特に金管のドラマティックな使い方が光る。終楽章のコーダはほんとうに何度聴いても魂が震える。

というかこの音源、youtubeでてきとうに検索して見つけてきたんだけどすごくいいですね。ブリュノ・フィリップという新鋭チェリストのコンクールでの演奏らしい。

 

おすすめ(4):ラフマニノフ

「聴いてはいけない(6)」で20世紀以降のものは聴いてはいけないと書いてしまったが、すみません、ラフマニノフの活躍時期はほぼ20世紀です。

しかし言い訳するわけではないが、このラフマニノフという人は、実質的に19世紀の作曲家といって差し支えない。チャイコフスキーの正統後継者で、20世紀のヨーロッパに吹き荒れまくった前衛音楽には目もくれずに昔ながらの調性音楽を書き続けた。聴衆には大人気な一方で、評論家からは古くさくて保守的だと叩かれまくった。もうこの点だけでもおすすめできる。大衆には支持されて評論家には嫌われるなんて、そんなのどこの分野でも最高の才能に決まってるでしょう。

ピアノ協奏曲第2番ハ短調

そんなラフマニノフの大出世作。自身が不世出のピアニストであったこともあってピアノの超絶技巧がこれでもかというくらいに詰め込まれているのに、それだけでは終わらずオーケストラの充実ぶりも素晴らしく、その証拠に第一楽章も第二楽章もピアノを伴奏に弦や木管がメロディを奏でるという異例の始まり方をする。出てくる旋律すべてがやり過ぎなくらい美しく叙情的で、当然というかなんというか映画音楽に使われまくっている。

この曲はまた、ほとんど同じ雰囲気でより深遠にパワーアップしたピアノ協奏曲第3番というネクストステップがあるため、聴き慣れてきて気に入ったら次に進むべき曲がはっきりしているという点でも実に初心者にすすめやすい。

 

聴いちゃえ!

ということで、ここまで読んで、聴いて、慣れてきたあなたは、さんざんdisってきたバロックもドイツ楽派もオペラもどんどん聴いてOK。disってごめんなさい。あくまで「初心者は」聴いてはいけない、ですからね?

良き音楽ライフを送られますように。