音楽は稼いだ!!

音楽エッセイ

楽園ノイズ4楽曲解説

 

発売中です。

いつもの楽曲解説。

 

といっても第一編のV系の話には実在曲は出てこない。

『黒死蝶』というバンド名はもちろん黒川と蝶野という名字からとっているのだが、オリジナルメンバーのあと二人が志村(Bs)と島田(Dr)でありメンバー全員の最初の文字をとって造ったバンド名である――という裏設定がある。

死村さんと死ま田さんかわいそう!と真琴がツッコむネタを考えていたのだが黒川・蝶野の対話が予想外にシリアスになってこれ以上ギャグを挟む余地がなかった。ここに供養しておく。

 

 

交響曲第41番ハ長調"ジュピター"(ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト

けものみち』との試奏曲。僕はモーツァルトを基本的には過大評価されている作曲家だと思っているのだが、しかし、たまにあるこういう曲を聴くと「すみませんでした天才です」とひれ伏したくなる。この終楽章のフゲッタは音符の一つ一つに至るまでまったく無駄がなく完璧に輪をかけて完璧であり、なんだかもう数学のエレガントな証明を見せられている気分になってくる。

あと、この楽章なんといっても楽譜がめちゃくちゃ美しいのです! 小編成で段数も少ないので全体をぱっと見て把握できるし。

 

管弦楽組曲ヨハン・セバスティアン・バッハ

第3番ニ長調

第2番ロ短調

第4番ニ長調

バレンタインコンサートの演目。

クラシックを題材にするときにはいつもそうだが、この一篇もまず選曲で難航した。曲が決まらないとプロットも組みようがない。せっかくやるからにはPNOのメンバーがオーケストラに参加しないと面白くないが、かといってどの楽器で参加するんだ? という話からになる。

朱音は、もう目をつぶって、こいつ天才だからな! 楽器はなんでも弾けるってことで! ……とヴァイオリンを割り当てた。詩月はドラマーだしティンパニならぎりぎり納得の範疇だろう。凛子は? 鍵盤楽器しかできない。ピアノは作中でも書いた通り管弦楽に入れると曲を支配するか壊してしまうかのどちらかになる。じゃあチェンバロか。自動的にバロック以前となる。でもバロックティンパニってそんな使わないよな、なにかあったっけ?

こうしたほとんど選択肢のない暗中模索の末にたどり着いたのがバッハの管弦楽組曲だった。ありがとう大バッハ。こんな曲まで書き残してくれていて。

第3番ニ長調の第2曲が有名なアリア。日本における音楽用語ではヴァイオリン属の「弦」のことを「線」と呼ぶ習わしがあり、ヴァイオリンの弦は高い方からE線、A線、D線、G線。これが「G線上のアリア」という、音楽に詳しくない人間からは一見なんのことかよくわからないがインパクト抜群の曲名の由来となった。もしこれが「G弦上のアリア」だったらここまであちこちでパロディにされることもなかっただろう。

 

心と口と行いと生活で(ヨハン・セバスティアン・バッハ

何度でも再掲。

しかしこのオランダバッハ協会というYouTubeチャンネル、質量ともにすばらしい。チャンネル登録しておくだけで充実したバッハ生活が送れること請け合い。

 

中期ルネサンスの主題による26の変奏曲(イゴール・メドヴェージェフ)

……という曲は存在しないのだが、イメージするにあたってモデルとした曲は三つある。一つ目はベートーヴェン第7番の第2楽章。テーマと最初の三変奏はこの曲をイメージしている。アレグレット(やや活発に)の葬送行進曲、という一見矛盾しているような楽想がなんといってもこの楽章の肝なのだが、暗い水の底のような美しいメロディに引きずられて重たく演奏してしまう指揮者がほとんどで、僕好みのちゃんとしたアレグレットで演ってくれているのは知っている限りではカラヤンしかいない。

二つ目はブラームスハイドン変奏曲。このブログのはるか昔にも一度記事にしたが僕の最愛の変奏曲で、明に暗にと移ろいながら最後に巨大な構造に展開するという全体的な構成はこの曲をイメージした。

三つ目はラフマニノフパガニーニ狂詩曲。モスクワ楽派の管弦楽変奏曲というとずばりチャイコフスキーの書いているロココ調変奏曲もあるのだが、あちらは明るすぎる。短調で暗い情念が欲しかったのでラフマニノフに登場願った。

なおイゴール・メドヴェージェフという作曲家自体もおおむねラフマニノフをパクった感じを想定しており、1巻で真琴が持ち出してきた「前奏曲イ短調」は有名な「前奏曲嬰ハ短調」をイメージしている。

 

       * * *

 

今巻は「コントラバス」が隠れたテーマだった。ありがたいことにカバーイラストにも使っていただいた。

コントラバスといえば、クラシック音楽界においてはヴィオラと並んで「虐げられている」楽器である。コントラバスを虚仮にする「コントラバス・ジョーク」というのが本一冊書けるくらいある(これは比喩表現ではなくほんとうにそういう本を僕は一冊持っている)。コントラバス出身の指揮者・作曲家というのが存外多いそうなのだが、その理由はよく言えば「オーケストラを最後方から俯瞰できて総合的な耳が養われるから」悪く言えば「音を外してもだれも気にしないくらい暇で、陽の当たる世界に出たくなるから」なのだそうである。ジョークとはいえひどい。

さて、そんな虐げられた脇役であるコントラバスだが、一応は独奏曲もある。

これはジェイコブ・ドラックマンというアメリカの現代音楽の作曲家が書いたコントラバス独奏曲で、見ての通りマレットでボディを叩いたり謎のささやき声を発したりと訳のわからないやりたい放題のいかにもな現代音楽なのだが、曲名がなんと"VALENTINE"!!

これは使うしかあるまい。バッハの見事な余韻も覚めやらぬバレンタインコンサートのアンコールで小此木さんが悠々とひとりステージに歩み出てきてこの曲を堂々と演奏しクラシック初心者のカップル客たちをどん引きさせる――

……という展開を考えていたのだが、どこにも入れる余地がなかった。悔しいのでここで供養する。