作家同士で集まってお遊びでバンドをやろうとなったとき、最初の課題曲に選ばれたのは無謀にもフジファブリックの『桜の季節』だった。ベーシストの鈴木大輔のチョイスである。キーボードが活躍する曲がよかろうという配慮だったのだろう。
そんなわけで僕とフジファブリックとの出逢いは聴くよりも先に楽譜だった。Gm7の上で決然と3オクターヴに渡って打ち鳴らされるピアノのF音がなによりも鮮烈な印象を残した。
実際にアルバムを買ってみて、志村正彦が特別な存在であることがすぐにわかった。声も、旋律も、詞も。とくに僕の心をとらえたのは『陽炎』だ。楽譜を見てもう一度惚れた。バンドメンバーにわがままを言って、これもバンドの課題曲に加えた。メインはピアノなのだがイントロやサビのオルガンパートがどう考えても不可欠だったので、これをひとりでこなせるようにと、渋谷のキーボード専門店まで足を運んでKORGとYAMAHAを一台ずつ買った。少し早めの自分へのクリスマスプレゼントのつもりだった。
しかしその年のクリスマスイヴ、志村正彦は死んだ。ふと思いついたみたいに唐突に。
* * *
僕の中で、フジファブリックは時間の歩みを止めた。
その後どうなったのか知ろうという気にもなれなかったし、新しいアルバムもどうやら出ていたらしいけれど買わなかったし、最初に買ったメジャーデビューアルバムばかり聴いていた。志村がこの世にいないというのがよく理解できなかった。アルバムをリピートしている限り、志村の歌う四季が何度でも何度でも巡ってきた。桜が枯れても、また次の桜の季節が訪れた。忙しくなってきたので作家バンドは一回ライヴをやった後で抜けた。おそらくフジファブリックはレパートリーから外れたはずだ。
ふとした折に、作家バンドのギタリストだったハセガワケイスケが教えてくれた。
「フジファブリック、ギタリストがヴォーカルとって、三人で頑張ってるよ。新しいの聴いたけど、なかなかよかった」
ケイスケの言葉が僕の中に完全に染み込むのに、さらに一年と少しかかった。2013年、ようやく僕が検索窓にフジファブリックと打ち込む勇気を取り戻せたとき、彼らはすでに志村の歌っていない二枚目のアルバムを出していた。
『徒然モノクローム』のイントロを聴いた瞬間、なにかがあふれそうになった。
ああ――フジファブリックだ。
どうやら僕がフジファブリックの核だと思っていた志村の声はその半分に過ぎなくて、もう半分は金澤ダイスケのキーボードだったらしい。そして、今はない志村の側の半分を、知らないけれどよく知っている声が埋めていた。フジファブリックだ。どうして今まで目をそむけていたんだろう?
今でもこのアルバムは冷静に聴けない。必ず四曲目の終わりで一度停止ボタンを押す。志村のために15秒くらい静寂を数えてから、僕はまた再生ボタンをクリックする。傷は消えない。ただ新しい歌で埋められていくだけだ。