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音楽エッセイ

ワンマンバンドという愚かな言葉

 僕は「ワンマンバンド」という言葉が大嫌いである。

 ところでこの言葉には二つの意味がある。本来の意味(1)と、和製英語の意味(2)だ。
1) ストリートなどで複数楽器を単独演奏するパフォーマー
2) ある一人のメンバーだけの力に依存しているバンド。
 (1)で活躍している人々にはほんとうに申し訳ないが、日本ではまず(2)の意味で使われているのではないかと思う。僕はこちらの意味でのワンマンバンドという言葉がほんとうに心底嫌いだ。以降この記事では(2)の意味でのみ用いることを先にお断りしておく。

 どんなグループがワンマンバンドと呼ばれるのか考えてみよう。
・"ワンマン"が作詞作曲している。
 複数メンバーが曲作りをしていても、ヒット曲が一人に集中していれば条件を満たす。
・"ワンマン"がメインヴォーカルである。
 これも必須条件だろう。GLAYTAKUROのワンマンバンドだと言っている人は見たことがない。

 角が立つので具体名は伏せるが、特に日本においてはかなりの数のバンドがこの二条件に該当する。
 要するにワンマンバンドとは、「音楽にとって重要なのは作詞と作曲と歌唱だけで、他はだれがやっても同じ」という誤った考えに基づいた呼び方なのだ。編曲も演奏もエンジニアリングも軽視したとてつもなく失礼な用語だ。あなたがワンマンバンドだと思い込んでいるグループがあるのなら、歌詞カードの作者表記をよく見ていただきたい。作詞作曲に同じ名前が並んでいるさらに右側に、「編曲:小林武史Mr.Children」などと書いていないだろうか? あっ、けっきょく具体名を出してしまった。ともかくそれだけでもうワンマンではない証だ。編曲はバンドであればメンバー全員でアイディアを出し合って行うのが一般的である。けっきょくベースのアレンジがいちばん達者なのはベーシスト、ドラムスのアレンジを任せるならドラマー、となるからだ。そして、ミュージシャンたちを対象にして、こんなアンケートを採ったとしよう。「作詞・作曲・編曲のうち、どれが最も楽曲の出来映えへの貢献度が高いと思うか」……多くは編曲と答えるはずだ。
 それを作詞作曲だけ見てワンマンとは片腹痛い。

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 言い忘れていたが、この記事は昔の僕に読ませるために書いている。

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 20年くらい前のことになるが、僕はユニコーン奥田民生のワンマンバンドだと思っていた。ヒット曲はだいたい民生の作詞作曲だったし、メインヴォーカルだったし、まわりの知り合いの人気も民生が圧倒的だった(というか他のメンバーの名前を知らない人がほとんどだった)。ライヴに行けば他のメンバーの輝きもじかに触れることができたのかもしれないが、あいにくと僕がユニコーンを聴くようになったとき既に彼らは解散していた。さらにまずいことに(全然まずくはないというかむしろ喜ばしいことなのだが)奥田民生は解散後のソロ活動で素晴らしい成功をおさめた。ソロ活動がうまくいかないせいでバンドの価値を再確認するというパターンはけっこうよくあるのだが、それにも当てはまらなかった。僕はユニコーンについて致命的な誤解を抱いたまま高校を卒業し、無数のバンドを渡り歩き、コンビニエンスストア高田馬場雀荘、そして無職、と順調に人生を転落していった。
 ユニコーンが再結成したのは僕が小説家になって三年目のことだった。
 もちろん驚いたし、嬉しかった。再結成アルバムもすぐに買った。

 まぎれもなく僕の知っているユニコーンだったのに、どうしてもハマりきることができなかった。理由がわからないまま、このアルバムはだんだんと聴かなくなった。横浜アリーナでのライヴのチケット抽籤に外れたのも痛かった。僕の中でユニコーン熱は少しずつ萎んでいった。

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 再燃したのは、ネットのどこかでこんな論旨の文章を目にしたからだった。
「解散前のユニコーンは『奥田民生のバンド』だった。再結成ユニコーンは『阿部義晴のバンド』になったと言えるだろう」
 文章に納得したからではない。逆だ。そんなわけないだろう、と憤慨したからだ。
 なるほど、アルバム『シャンブル』は阿部義晴の作詞作曲した曲が特に目立っている。オープニングとラストがともに阿部曲だし、だいいち復活第一弾シングルの"WAO!"は作詞作曲どころかヴォーカルまで阿部だ。インタビューを読んでも再結成は阿部が呼びかけ、バンドリーダーも阿部に交代した、と阿部色が強く打ち出されたように見える。阿部義晴のバンドになった、と言いたくもなる。でもそんなわけない。外側から見える名前の数だけでユニコーンを決めつけたくなかった。
 ライヴを観なければ、と僕は思った。ユニコーンはライヴバンドだ。スタジオアルバムを何回リピートしてもわからない魅力をたっぷり抱えている。ライヴを聴いて答えを出さなければ。

 チケットを逃した横浜アリーナのライヴDVDをAmazonお急ぎ便で買って、2時間半ものライヴをその日のうちに三回繰り返して観た。自宅でも事務所でもヘビーローテーションしたかったのでBDも買った。

 圧倒的、だった。
 僕はアルバムのラストナンバー"HELLO"がなぜあんなにも各所で大絶賛されていたのかを、このライヴ音源でようやく理解した。同時に、僕の中でのユニコーン・ベストソング(それまでは"すばらしい日々"だった)が実に16年振りに更新された。このとき、僕の心の中でわずかながらこんな葛藤があった。
『……ユニコーンといえばやっぱり奥田民生だろう。いいのか? ベストソングは民生の曲じゃなくていいのか? 阿部曲でいいのか?』
 一瞬とはいえくだらない葛藤をしてしまった自分にほんとうに腹が立ったので、その怒りを思い出しながらこの記事を書いている。
 バンドは、だれかひとりの占有物などにはけっしてならない。そんなのはバンドじゃない。舵だけでは船が進まないのと同じように。翼だけでは鳥が飛べないのと同じように。奥田民生だけでも、阿部義晴だけでも、ユニコーンユニコーンでいられない。曲もまた然りだ。作詞作曲のところにだれの名前が書いてあろうと、彼ひとりの曲じゃない。それはユニコーンの歌なのだ。そんな当たり前のことを、僕は横浜アリーナいっぱいに響く五人のグルーヴを聴きながら今さら学んだ。"HELLO"のエンディングで大ヴィジョンに五分割で表示される五人の姿を目にすると、僕はいつも泣き出しそうになる。そしてアンコール曲"すばらしい日々"のリフレインで五人がステージの真ん中に集まって視線を合わせるところを目にすると、実際に涙してしまう。
 戻ってきてくれてありがとう。
 はじめて聴いた日から十数年、僕はようやくほんとうにあなたたちのファンになれた気がする。