以前、ある音楽好きの声優さんと飲んだときに、「ビートルズをはじめて聴く子供にどのアルバムから勧めるべきか?」という話題になった。
僕は、昔ちょろっとネット上で読んだ記事を思い出してこう答えた。
「PAST MASTERSのvol.2じゃないですかね」
理由は簡単で、アルバム未収録のシングルを集めたものなので、幅広い年代にわたるヒット曲がたくさん入っているからだ。しかも日本人大好きのピアノバラードの名曲であるHey JudeとLet It Beが両方入っている(僕はLet It Beは同名アルバム版よりもPAST MASTERS版の方がドラミングが素直で好きである)。初心者に気軽に勧められる一枚だと思う。
でもその声優さんはきっぱりとこう断言した。
「絶対にPLEASE PLEASE MEから聴かせるべきだ」
デビューアルバムだからだ。“最初の彼ら”が詰まっているのだから、“最初の僕ら”もここから聴くべきなんだ。彼はそう説明してくれた。なるほど、一理ある。歴史を俯瞰することなんて年を取ってからいくらでもできる。流れに飛び込むことはまっさらな少年の身であるうちにしかできない。たとえそれが非リアルタイムの追体験であっても、だ。
ところでこの話には素敵なオチがついている。ビートルズ談義が一段落したところで僕はこう訊いてみた。
「……じゃあニルヴァーナならどうです? どれから勧めますか?」
やっぱりデビュー作のBLEACHからなんですか?
彼は笑って首を振った。
「やっぱりNEVERMINDからだな」
僕も笑った。同感だった。
* * *
僕のいちばん好きなミュージシャンはクイーンなのだが、正直にそう申告すると、僕の小説を読んでいる人々は意外そうな顔をする。小説に全然出てこないからだろう(記憶にある限り、題材として取り上げたことは一度しかない)。これは当たり前の話で、使い方を思いつかなかったから出てこないだけだ。使い方を思いつけば全然好きじゃないミュージシャンの曲だって持ち出す。
しかし僕の小説を読んでそこに出てくる音楽に興味を持って聴き始める人たちには少々申し訳ないことになる。特にどれとは言えないのだが自信を持っておすすめできる曲ばっかり出しているわけではない。そして最愛のバンドをこれまで全然推せなかったこともよくよく考えてみれば残念だ。
音楽アフィリエイトブログを始めるにあたって、そんなわけで第1回はクイーンを取り上げることにした。
さあ、ここで冒頭と同じ問題が持ち上がる。最初に聴いてもらうアルバムはどれにするべきだろう?
クイーンのファンの間でアルバム人気投票をすると、売上はさほどでもなかったセカンドアルバムが一番人気になる、という話は有名である(なんで有名なのかというとセカンドアルバムの解説に書いてあるからだ)。さもありなん、と思う。売れたアルバム、タイアップで有名になってしまった曲、などは推しづらいのだ。キムタクのおかげでおそらく日本でいちばん有名なクイーンの曲はI Was Born to Love Youだろうし、実際この曲はいい曲なのだが、お勧めとして挙げているクイーンファンを見たことがない。僕もそういったスノビズムと無縁ではいられず、最初に勧めたいアルバムはどれかと考えたとき、どうしてもはったりがきくもの、通ぶれるもの、センスの良さをアピールできるもの、といった基準がぐいぐいと喉元までせり上がってきて素直な選択を邪魔する。
さりとて冒頭の声優さんの理屈にしたがってデビューアルバムから勧めるか? ……と考えてみても、やはり自分に嘘はつけない。そんなにできのいいアルバムではないからだ。
* * *
けっきょく答えはこれになる。
クイーンの四枚目のアルバム、A NIGHT AT THE OPERAは、うむ、とっても売れたアルバムだ。彼らにとってはじめての全英ナンバーワンを獲得したアルバムでもあり、最大のヒット曲Bohemian Rhapsodyも入っている。楽曲もハードロックからカントリーからオペラ風のものまで幅広く飽きさせない。捨て曲も一曲もない。クイーンのすべてが詰まったアルバムだ。人気も高い。前述の人気投票の話でも二番人気だと書いてあった。「どれが好きか」ではなく「どれが最高傑作だと思うか」という質問に変えたとしたら、たぶんこのアルバムが一位になるだろう。
でも、それは今はどうでもいい。
A NIGHT AT THE OPERAは、僕がはじめて聴いたクイーンのアルバムだ。いや、それだけではない。僕がはじめて自分の金を出して買ったCDなのだ。
僕とクイーンとの出逢いは15歳の頃に遡る。
おおかたの人々がそうであるように、僕の幼少期の音楽的嗜好は両親の趣味によって塑造された。つまりモーツァルト、ヴェルディ、プッチーニ、ドニゼッティ、ホセ・カレラス、松山千春、さだまさし、小椋佳、井上陽水だった。幸運なことに父親が(おそらくはその年代の基礎教養として)洋楽をかじっており、ビートルズはベストアルバムだけはあったし、他にも「オールタイム・ロック・ベスト」的なコンピレーションアルバムも持っていた。もう内容はほとんど忘れてしまったが、キッスのBlack Diamondとポール・マッカートニー&ウィングズのMy Loveが一緒に入っていたというだけでどれくらい節操のない寄せ集めアルバムだったかわかってもらえると思う。
その中に、Bohemian RhapsodyとKiller Queenも収録されていた。
二百回ずつくらい聴いてから、貯金全額を握りしめ、多摩センターにあるデパートのレコード店に走り、美しいエンブレムの描かれた真っ白なそのアルバムを見つけてレジに持っていった。カセットテープに落とし、授業中もウォークマンでずっと聴いていた。
このアルバムに出逢わなければ高校で音楽部に入ることもなかっただろうし、小学校卒業と同時にやめていたピアノにもう一度触ってみようという気にもならなかっただろう。向島で芸妓をしながら小説を書いていた彼女と出逢うこともなかっただろうし、つまり僕自身が小説を書き始めることもなかったかもしれない。今でも高田馬場の雀荘で脂臭い牌を拭きながら朝陽を恨めしそうに睨んでいたかもしれない。
僕はここから始まった。“最初の僕”が、ここには詰まっている。だから、“最初のあなた”もここから聴き始めてほしい。