旧ブログ消滅にともない、過去作の解説記事を書き直し中。
ネタバレの記事なので未読の人は下のアフィリエイトをクリックして買って読んでから続きをどうぞ。
あとがきの日付を見ていただければわかると思うが、電撃文庫の原稿はだいたい刊行の四ヶ月前にあがっている(あとがきを書くのは初稿脱稿のおおむね一ヶ月後)。これはまあ理想スケジュールで、現在の僕のしめきり状況はかなり惨憺たるものなのだが、この『さよならピアノソナタ4』を執筆していた当時はまだまだ真面目だった。ちゃんと四ヶ月前にあげていた。
つまり、雪がしんしんと降りしきるクリスマスの話を書いていたのは残暑で毎日汗だらだらの八月だったのである(ちょうど今頃だ)。見ても聞いても感じてもいないことを書くのが小説家という商売なのだ、楽しくも哀しいことに。
・Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band(ビートルズ)
ナオのプレゼントしたレコード。ロック史上最も重要なアルバムと謳われる、ビートルズ中期の傑作。しかしこれは本人たちさえも過大評価だと認めている。世界初のコンセプトアルバムという評価もおそらくは過剰な神格化だと思う。アルバム完成度ではAbbey Roadに劣り、先鋭性ではホワイトアルバムに劣る、などと自称ビートルズ通からはよく評される。というかその自称ビートルズ通とは僕のことである。すみません。しかし名盤であることは疑いようもない。
詳しい解説はもっと後の章でナオがしているので割愛。個々の楽曲の解説も後述する。
・クリスマス・カンタータ(オネゲル)
トモがサンプリングした曲。オネゲルは20世紀前半まで活躍したスイス生まれのフランスの作曲家で、日本ではほとんど知られていない。恥ずかしながら僕もほとんど知らず、タワーレコードでオネゲルのCDを求めて"O"の棚をなんべんも探したあげくに見つからず憤慨して店員さんに訊いたらイニシャルは"H"だったという恥ずかしい経験がある。
この曲はオネゲルの遺作で、おどろおどろしい低弦の序奏とうめくような合唱から盛り上がり、少年合唱、混声合唱、オルガン、様々なカンタータ要素を複雑にからみあわせて展開し、美しい静寂の中で終わる超絶名曲。はっきり言って、とてもクリスマスに聴いて幸せに恋人といちゃいちゃできるような雰囲気の曲ではない。
・Happy Xmas (War Is Over)(ジョン・レノン)
四人が部室で演った曲。クリスマスソングの定番中の定番で、なおかつジョンの反戦歌の代表作。この巻のテーマ曲のひとつでもあり、後のライヴシーンで再登場する。
数あるクリスマスソングの中でもなぜこれを選んだのかというと、もちろん、楽曲の構造が理由だ。この曲は作中でも解説されている通り、"Happy Xmas"と"War Is Over"という二つの歌が同時に歌われるクォドリベットの構造をとっている。真冬がいないのに――旋律を弾く者がだれもいないはずなのに観客がなんの歌かを理解して対旋律を歌い出す、という演出のためには、この曲以外の選択肢がなかったのだ。
そんな奇蹟がもし起きるなら実際に見てみたいものである。
・ピアノソナタ第26番変ホ長調《告別》(ベートーヴェン)
誕生日に真冬が弾いてくれた一曲目。再登場の『さよならピアノソナタ』だ。解説は割愛する。
・パルティータ第2番ハ短調シンフォニア(バッハ)
誕生日に真冬が弾いてくれた二曲目。パルティータというのは「組曲」のことだが、バッハの時代においては厳格な楽章構成、つまり前奏曲+アルマンド+クーラント+サラバンド+自由舞曲+ジーグという型式を踏襲したものだけを指したようである。一般名詞なのでたくさんの作曲家がたくさんのパルティータを書いているが、単に「パルティータ」とだけ書いてある場合、バッハの鍵盤練習曲集第1集の6曲を指す。
この第2番ハ短調の前奏曲であるシンフォニアは、三部構成でどんどんテンポアップしていく面白い曲で、第三部はバッハのフーガの中でも僕が最も好きなもののひとつ。スリリングでドラマチックな展開を聴いていただきたい。
・A Day in the Life(ビートルズ)
ナオと真冬が二人で聴いたアルバムのアンコールナンバー。僕にとって最愛のレノン=マッカートニー曲。作中に書いたイントロの部分は、今聴いてもやっぱり泣ける。どうしてかはわからない。
この曲は、本当の意味でジョン・レノンとポール・マッカートニーが共作した最後の曲といわれている。ジョージ・マーティンがその剛腕でもってジョンの曲にポールの曲を挟み込んだのである(中間部、目覚まし時計のベルが鳴ってポールが歌い出す箇所がポール曲)。
・ヴァイオリンソナタ第5番ヘ長調(ベートーヴェン)
真冬とユーリが録音した曲。《春》の愛称で親しまれている人気曲。ほんとうに春先のおしゃれレストランでかかっていそうな軽やかで明るい曲だが、実はヴァイオリンソナタのくせに4楽章構成というなかなかの意欲作でもある。第3楽章のスケルツォはたいへんリズムが複雑で、僕は聴いているといつも落ち着かなくなる。
・When I'm Sixty-four(ビートルズ)
ナオが千晶の部屋で一緒に聴いた曲。アルバムの真ん中へんに収録されている、ポールによる小品。終始おどけたクラリネットが印象的で、歌詞の内容も駄目男が彼女に一所懸命自分の便利さをアピールして「一生一緒にいてくれや」とお願いするという、かなり情けないもの。この曲を使うことを思いついたとき、このシーンの方向性、およびこの巻の後半の方向性が一気に固まった。隠れた重要曲である。
・ピアノ協奏曲第2番変ロ長調(ベートーヴェン)
真冬の携帯の着信音。ベートーヴェンの五つのピアノ協奏曲の中で、間違いなく最も人気のない曲。いい曲だと思うのだが……。グールドはこの曲をたいへん愛していたという。
この変ロ長調の曲、番号こそ「第2番」だが、実際はベートーヴェンが最初に完成させたピアノ協奏曲であることが明らかになっている。彼はウィーンという大都会で作曲家兼ピアニストとして華々しくデビューできるよう周到に準備しており、この曲だけで楽壇に打って出ても勝ち目は薄いと考えたのだろう。後に作曲することになる個性的で明朗なハ長調のものを名目上の「コンチェルト第一作」に据えたというわけである。
・Pieces(L'Arc~en~Ciel)
今までまったく登場しなかったラルクの曲で全編を締めくくるというのも考えてみれば不思議なものだが、ともかく最後の一節はこの曲に由来している。思いついてしまったものはしょうがない。この曲のサビの短三度上への転調はほんとうに鳥肌ものである。素晴らしい曲ではあるのだが、もっと別のアレンジはなかったものだろうか……と聴くたびにいつも考えてしまう。
・弦楽のためのセレナーデ(チャイコフスキー)
おまけのあとがき曲。あとがきの意味がわからない方は実際に聴いていただきたい。
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この巻の第13章、ナオと千晶が一緒にアルバムを聴く場面は、僕がこれまで書いてきた中でいちばん気に入っているワンシーンである。その一節を書き終えたとき、あまりの達成感に、思わずエンドマークを打って編集さんに原稿を送信しようかと思ったくらいだ。もちろんすぐに思い止まって続きを書いた。つらい作業でもあった。これまでの三冊で先送りにしてきた諸問題に片をつけなければいけなかったからだ。
この巻は僕がはじめて書き上げた「完結巻」であり、そういう意味では非常に感慨深い。実は、作家どうしの間で作品に関して祝い事をするときというのは、映像化したときでも100万部突破したときでもなく、シリーズを完結させたときだけである。この商売をやっている人間ならばみんなわかっているのだ。一本の物語を最後まで書き切り、生み出したキャラクターたちの人生にそれなりのベクトルを与えて解き放つこと、それだけが僕ら作家にとって胸を張って「自分が成し遂げた」といえることであり、あとのすべてはまわりの人々の投資と助力によって発生した付随結果にすぎない。
『さよならピアノソナタ』は、一冊で終わる可能性も、二冊目、三冊目で終わる可能性もあった。特に、三巻を書き始めるにあたっての担当編集との打ち合わせでは、「ここで終わるかもしれません」と言った記憶がある。しかし書き上げてから振り返ってみれば、どう考えても四冊使うしかなかったように見える。我ながら不思議なシリーズである。自分で書いたキャラクターに対してこんなことを言うのも奇妙な話だが、ナオや真冬や千晶や響子からはたくさんのことを学んだ。ありがとう。みんな幸せになってほしいと心から思う。