音楽は稼いだ!!

音楽エッセイ

さよならピアノソナタ4曲目解説

 旧ブログ消滅にともない、過去作の解説記事を書き直し中。
 ネタバレの記事なので未読の人は下のアフィリエイトをクリックして買って読んでから続きをどうぞ。

 あとがきの日付を見ていただければわかると思うが、電撃文庫の原稿はだいたい刊行の四ヶ月前にあがっている(あとがきを書くのは初稿脱稿のおおむね一ヶ月後)。これはまあ理想スケジュールで、現在の僕のしめきり状況はかなり惨憺たるものなのだが、この『さよならピアノソナタ4』を執筆していた当時はまだまだ真面目だった。ちゃんと四ヶ月前にあげていた。
 つまり、雪がしんしんと降りしきるクリスマスの話を書いていたのは残暑で毎日汗だらだらの八月だったのである(ちょうど今頃だ)。見ても聞いても感じてもいないことを書くのが小説家という商売なのだ、楽しくも哀しいことに。

・Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band(ビートルズ


 ナオのプレゼントしたレコード。ロック史上最も重要なアルバムと謳われる、ビートルズ中期の傑作。しかしこれは本人たちさえも過大評価だと認めている。世界初のコンセプトアルバムという評価もおそらくは過剰な神格化だと思う。アルバム完成度ではAbbey Roadに劣り、先鋭性ではホワイトアルバムに劣る、などと自称ビートルズ通からはよく評される。というかその自称ビートルズ通とは僕のことである。すみません。しかし名盤であることは疑いようもない。
 詳しい解説はもっと後の章でナオがしているので割愛。個々の楽曲の解説も後述する。

・クリスマス・カンタータオネゲル


 トモがサンプリングした曲。オネゲルは20世紀前半まで活躍したスイス生まれのフランスの作曲家で、日本ではほとんど知られていない。恥ずかしながら僕もほとんど知らず、タワーレコードオネゲルのCDを求めて"O"の棚をなんべんも探したあげくに見つからず憤慨して店員さんに訊いたらイニシャルは"H"だったという恥ずかしい経験がある。
 この曲はオネゲルの遺作で、おどろおどろしい低弦の序奏とうめくような合唱から盛り上がり、少年合唱、混声合唱、オルガン、様々なカンタータ要素を複雑にからみあわせて展開し、美しい静寂の中で終わる超絶名曲。はっきり言って、とてもクリスマスに聴いて幸せに恋人といちゃいちゃできるような雰囲気の曲ではない。

・Happy Xmas (War Is Over)(ジョン・レノン


 四人が部室で演った曲。クリスマスソングの定番中の定番で、なおかつジョンの反戦歌の代表作。この巻のテーマ曲のひとつでもあり、後のライヴシーンで再登場する。
 数あるクリスマスソングの中でもなぜこれを選んだのかというと、もちろん、楽曲の構造が理由だ。この曲は作中でも解説されている通り、"Happy Xmas"と"War Is Over"という二つの歌が同時に歌われるクォドリベットの構造をとっている。真冬がいないのに――旋律を弾く者がだれもいないはずなのに観客がなんの歌かを理解して対旋律を歌い出す、という演出のためには、この曲以外の選択肢がなかったのだ。
 そんな奇蹟がもし起きるなら実際に見てみたいものである。

ピアノソナタ第26番変ホ長調《告別》(ベートーヴェン
Beethoven: Favourite Piano Sonatas - Pathétique, Moonlight, Tempest, etc - マウリッツィオ・ポリーニ

 誕生日に真冬が弾いてくれた一曲目。再登場の『さよならピアノソナタ』だ。解説は割愛する。

・パルティータ第2番ハ短調シンフォニア(バッハ)


 誕生日に真冬が弾いてくれた二曲目。パルティータというのは「組曲」のことだが、バッハの時代においては厳格な楽章構成、つまり前奏曲アルマンドクーラントサラバンド+自由舞曲+ジーグという型式を踏襲したものだけを指したようである。一般名詞なのでたくさんの作曲家がたくさんのパルティータを書いているが、単に「パルティータ」とだけ書いてある場合、バッハの鍵盤練習曲集第1集の6曲を指す。
 この第2番ハ短調前奏曲であるシンフォニアは、三部構成でどんどんテンポアップしていく面白い曲で、第三部はバッハのフーガの中でも僕が最も好きなもののひとつ。スリリングでドラマチックな展開を聴いていただきたい。

・A Day in the Life(ビートルズ


 ナオと真冬が二人で聴いたアルバムのアンコールナンバー。僕にとって最愛のレノン=マッカートニー曲。作中に書いたイントロの部分は、今聴いてもやっぱり泣ける。どうしてかはわからない。
 この曲は、本当の意味でジョン・レノンポール・マッカートニーが共作した最後の曲といわれている。ジョージ・マーティンがその剛腕でもってジョンの曲にポールの曲を挟み込んだのである(中間部、目覚まし時計のベルが鳴ってポールが歌い出す箇所がポール曲)。

・ヴァイオリンソナタ第5番ヘ長調ベートーヴェン


 真冬とユーリが録音した曲。《春》の愛称で親しまれている人気曲。ほんとうに春先のおしゃれレストランでかかっていそうな軽やかで明るい曲だが、実はヴァイオリンソナタのくせに4楽章構成というなかなかの意欲作でもある。第3楽章のスケルツォはたいへんリズムが複雑で、僕は聴いているといつも落ち着かなくなる。

・When I'm Sixty-four(ビートルズ


 ナオが千晶の部屋で一緒に聴いた曲。アルバムの真ん中へんに収録されている、ポールによる小品。終始おどけたクラリネットが印象的で、歌詞の内容も駄目男が彼女に一所懸命自分の便利さをアピールして「一生一緒にいてくれや」とお願いするという、かなり情けないもの。この曲を使うことを思いついたとき、このシーンの方向性、およびこの巻の後半の方向性が一気に固まった。隠れた重要曲である。

ピアノ協奏曲第2番変ロ長調ベートーヴェン


 真冬の携帯の着信音。ベートーヴェンの五つのピアノ協奏曲の中で、間違いなく最も人気のない曲。いい曲だと思うのだが……。グールドはこの曲をたいへん愛していたという。
 この変ロ長調の曲、番号こそ「第2番」だが、実際はベートーヴェンが最初に完成させたピアノ協奏曲であることが明らかになっている。彼はウィーンという大都会で作曲家兼ピアニストとして華々しくデビューできるよう周到に準備しており、この曲だけで楽壇に打って出ても勝ち目は薄いと考えたのだろう。後に作曲することになる個性的で明朗なハ長調のものを名目上の「コンチェルト第一作」に据えたというわけである。

・Pieces(L'Arc~en~Ciel)


 今までまったく登場しなかったラルクの曲で全編を締めくくるというのも考えてみれば不思議なものだが、ともかく最後の一節はこの曲に由来している。思いついてしまったものはしょうがない。この曲のサビの短三度上への転調はほんとうに鳥肌ものである。素晴らしい曲ではあるのだが、もっと別のアレンジはなかったものだろうか……と聴くたびにいつも考えてしまう。

・弦楽のためのセレナーデ(チャイコフスキー


 おまけのあとがき曲。あとがきの意味がわからない方は実際に聴いていただきたい。

       * * *

 この巻の第13章、ナオと千晶が一緒にアルバムを聴く場面は、僕がこれまで書いてきた中でいちばん気に入っているワンシーンである。その一節を書き終えたとき、あまりの達成感に、思わずエンドマークを打って編集さんに原稿を送信しようかと思ったくらいだ。もちろんすぐに思い止まって続きを書いた。つらい作業でもあった。これまでの三冊で先送りにしてきた諸問題に片をつけなければいけなかったからだ。
 この巻は僕がはじめて書き上げた「完結巻」であり、そういう意味では非常に感慨深い。実は、作家どうしの間で作品に関して祝い事をするときというのは、映像化したときでも100万部突破したときでもなく、シリーズを完結させたときだけである。この商売をやっている人間ならばみんなわかっているのだ。一本の物語を最後まで書き切り、生み出したキャラクターたちの人生にそれなりのベクトルを与えて解き放つこと、それだけが僕ら作家にとって胸を張って「自分が成し遂げた」といえることであり、あとのすべてはまわりの人々の投資と助力によって発生した付随結果にすぎない。
 『さよならピアノソナタ』は、一冊で終わる可能性も、二冊目、三冊目で終わる可能性もあった。特に、三巻を書き始めるにあたっての担当編集との打ち合わせでは、「ここで終わるかもしれません」と言った記憶がある。しかし書き上げてから振り返ってみれば、どう考えても四冊使うしかなかったように見える。我ながら不思議なシリーズである。自分で書いたキャラクターに対してこんなことを言うのも奇妙な話だが、ナオや真冬や千晶や響子からはたくさんのことを学んだ。ありがとう。みんな幸せになってほしいと心から思う。

ワンマンバンドという愚かな言葉

 僕は「ワンマンバンド」という言葉が大嫌いである。

 ところでこの言葉には二つの意味がある。本来の意味(1)と、和製英語の意味(2)だ。
1) ストリートなどで複数楽器を単独演奏するパフォーマー
2) ある一人のメンバーだけの力に依存しているバンド。
 (1)で活躍している人々にはほんとうに申し訳ないが、日本ではまず(2)の意味で使われているのではないかと思う。僕はこちらの意味でのワンマンバンドという言葉がほんとうに心底嫌いだ。以降この記事では(2)の意味でのみ用いることを先にお断りしておく。

 どんなグループがワンマンバンドと呼ばれるのか考えてみよう。
・"ワンマン"が作詞作曲している。
 複数メンバーが曲作りをしていても、ヒット曲が一人に集中していれば条件を満たす。
・"ワンマン"がメインヴォーカルである。
 これも必須条件だろう。GLAYTAKUROのワンマンバンドだと言っている人は見たことがない。

 角が立つので具体名は伏せるが、特に日本においてはかなりの数のバンドがこの二条件に該当する。
 要するにワンマンバンドとは、「音楽にとって重要なのは作詞と作曲と歌唱だけで、他はだれがやっても同じ」という誤った考えに基づいた呼び方なのだ。編曲も演奏もエンジニアリングも軽視したとてつもなく失礼な用語だ。あなたがワンマンバンドだと思い込んでいるグループがあるのなら、歌詞カードの作者表記をよく見ていただきたい。作詞作曲に同じ名前が並んでいるさらに右側に、「編曲:小林武史Mr.Children」などと書いていないだろうか? あっ、けっきょく具体名を出してしまった。ともかくそれだけでもうワンマンではない証だ。編曲はバンドであればメンバー全員でアイディアを出し合って行うのが一般的である。けっきょくベースのアレンジがいちばん達者なのはベーシスト、ドラムスのアレンジを任せるならドラマー、となるからだ。そして、ミュージシャンたちを対象にして、こんなアンケートを採ったとしよう。「作詞・作曲・編曲のうち、どれが最も楽曲の出来映えへの貢献度が高いと思うか」……多くは編曲と答えるはずだ。
 それを作詞作曲だけ見てワンマンとは片腹痛い。

       * * *

 言い忘れていたが、この記事は昔の僕に読ませるために書いている。

       * * *

 20年くらい前のことになるが、僕はユニコーン奥田民生のワンマンバンドだと思っていた。ヒット曲はだいたい民生の作詞作曲だったし、メインヴォーカルだったし、まわりの知り合いの人気も民生が圧倒的だった(というか他のメンバーの名前を知らない人がほとんどだった)。ライヴに行けば他のメンバーの輝きもじかに触れることができたのかもしれないが、あいにくと僕がユニコーンを聴くようになったとき既に彼らは解散していた。さらにまずいことに(全然まずくはないというかむしろ喜ばしいことなのだが)奥田民生は解散後のソロ活動で素晴らしい成功をおさめた。ソロ活動がうまくいかないせいでバンドの価値を再確認するというパターンはけっこうよくあるのだが、それにも当てはまらなかった。僕はユニコーンについて致命的な誤解を抱いたまま高校を卒業し、無数のバンドを渡り歩き、コンビニエンスストア高田馬場雀荘、そして無職、と順調に人生を転落していった。
 ユニコーンが再結成したのは僕が小説家になって三年目のことだった。
 もちろん驚いたし、嬉しかった。再結成アルバムもすぐに買った。

 まぎれもなく僕の知っているユニコーンだったのに、どうしてもハマりきることができなかった。理由がわからないまま、このアルバムはだんだんと聴かなくなった。横浜アリーナでのライヴのチケット抽籤に外れたのも痛かった。僕の中でユニコーン熱は少しずつ萎んでいった。

       * * *

 再燃したのは、ネットのどこかでこんな論旨の文章を目にしたからだった。
「解散前のユニコーンは『奥田民生のバンド』だった。再結成ユニコーンは『阿部義晴のバンド』になったと言えるだろう」
 文章に納得したからではない。逆だ。そんなわけないだろう、と憤慨したからだ。
 なるほど、アルバム『シャンブル』は阿部義晴の作詞作曲した曲が特に目立っている。オープニングとラストがともに阿部曲だし、だいいち復活第一弾シングルの"WAO!"は作詞作曲どころかヴォーカルまで阿部だ。インタビューを読んでも再結成は阿部が呼びかけ、バンドリーダーも阿部に交代した、と阿部色が強く打ち出されたように見える。阿部義晴のバンドになった、と言いたくもなる。でもそんなわけない。外側から見える名前の数だけでユニコーンを決めつけたくなかった。
 ライヴを観なければ、と僕は思った。ユニコーンはライヴバンドだ。スタジオアルバムを何回リピートしてもわからない魅力をたっぷり抱えている。ライヴを聴いて答えを出さなければ。

 チケットを逃した横浜アリーナのライヴDVDをAmazonお急ぎ便で買って、2時間半ものライヴをその日のうちに三回繰り返して観た。自宅でも事務所でもヘビーローテーションしたかったのでBDも買った。

 圧倒的、だった。
 僕はアルバムのラストナンバー"HELLO"がなぜあんなにも各所で大絶賛されていたのかを、このライヴ音源でようやく理解した。同時に、僕の中でのユニコーン・ベストソング(それまでは"すばらしい日々"だった)が実に16年振りに更新された。このとき、僕の心の中でわずかながらこんな葛藤があった。
『……ユニコーンといえばやっぱり奥田民生だろう。いいのか? ベストソングは民生の曲じゃなくていいのか? 阿部曲でいいのか?』
 一瞬とはいえくだらない葛藤をしてしまった自分にほんとうに腹が立ったので、その怒りを思い出しながらこの記事を書いている。
 バンドは、だれかひとりの占有物などにはけっしてならない。そんなのはバンドじゃない。舵だけでは船が進まないのと同じように。翼だけでは鳥が飛べないのと同じように。奥田民生だけでも、阿部義晴だけでも、ユニコーンユニコーンでいられない。曲もまた然りだ。作詞作曲のところにだれの名前が書いてあろうと、彼ひとりの曲じゃない。それはユニコーンの歌なのだ。そんな当たり前のことを、僕は横浜アリーナいっぱいに響く五人のグルーヴを聴きながら今さら学んだ。"HELLO"のエンディングで大ヴィジョンに五分割で表示される五人の姿を目にすると、僕はいつも泣き出しそうになる。そしてアンコール曲"すばらしい日々"のリフレインで五人がステージの真ん中に集まって視線を合わせるところを目にすると、実際に涙してしまう。
 戻ってきてくれてありがとう。
 はじめて聴いた日から十数年、僕はようやくほんとうにあなたたちのファンになれた気がする。

さよならピアノソナタ3曲目解説

 旧ブログ消滅にともない、過去作の解説記事を書き直し中。
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 さて、DBMS公式という数学定理があるのをご存じだろうか。

 T = P ^ (1 + 0.038N)

 数式中のTは執筆にかかる手間を、Pは一冊のページ数を、Nはその一冊に含まれる話数を示している。同じページ数であっても短編集であれば手間は何倍にもなり、何十編と収録されたショートショート集であれば天文学的な数字にまでふくれあがることがおわかりいただけるだろう。
 この定理は僕が五年前、電撃文庫MAGAZINEのために『さよならピアノソナタ』のはじめての短編を書いている最中に発見した。DBMSというのはもちろん電撃・文庫・MAGAZINE・しめきりの略である。
 そんなわけで三巻はシリーズ中いちばん手間がかかった。最初の短編『女王様の歌合戦』はネタ出しの労力を少しでも減らせるようにと僕の実体験が色濃く反映されている。

・Ave Verum Corpus(モーツァルト
Ave Verum Corpus, K. 618 - Mozart: Requiem & Ave Verum Corpus - Bruckner: Ave Maria, Locus Iste & Christus Factus Est

 合唱コンクールの課題曲。僕の恩師であった高校の音楽の先生がこれを「この世で最も美しい音楽」と評していたのが忘れられない。授業でも実際に歌った。テナーパートは非常に簡単なので当時全然気づかなかったが、わずか46小節の間にイ長調ヘ長調への巧妙な転調が何回も行われている。高校生には正直難しすぎると思う。ラテン語だし。
 我が恩師は僕が三年生になるときに転勤になってしまい、代わりにやってきた新任の音楽教師は授業で日本語のわかりやすい合唱曲ばかり取り上げたので、いやはや音楽の授業というのは特に担当教員次第なのだなあと痛感したものだ。

・聞こえる(岩間芳樹・新見徳英)
聞こえる - 校内合唱ソルフェージュ:課題曲・自由曲/クラス合唱ベスト24

 神楽坂のクラスの前年の自由曲。これもまた、僕の所属していた部活のOBたちが実際に文化祭にゲスト参加して披露してくれたものである。湾岸戦争当時の世相を反映した意識の高い歌詞が特徴的。

・Somebody to Love(クイーン)
Somebody to Love (Remastered) - A Day At the Races (Remastered)

 ナオたちのクラスの自由曲。クイーン初期の代表曲。クイーンをまったく知らない人に最初に聴かせるのにうってつけの曲だろう。
 これは、僕が部活で「やろうとして難しすぎてできなかった」曲だ。コーラスパートはなんとかがんばって採譜した(バンドスコアにけっこう間違いがあるので大変だった)が、その六部合唱の楽譜が使われることはついになかった。悔しいので小説内でリベンジしたわけだが、ソロヴォーカルありギターソロありのまったくもって合唱コンクール向きの曲ではないのでリアル高校生にはおすすめできない。

・Hail Holy Queen
Hail Holy Queen - A Tribute to Sister Act: Stage And Screen

 そして神楽坂のクラスの自由曲。もともとは"Salve Regina"(幸いなるかな女王)という聖母マリアを讃えるアンティフォナを英訳したものだが(したがって厳密にいえばゴスペルではない)、映画でポップスアレンジされ一気に有名に。実際に音楽の授業の自由発表会でこれを演った女の子のグループがあって、そこではじめて僕はこの曲のすばらしさに気づいた。映画はずいぶん前に見ていたと思うのだが。
 こちらは合唱コンクール用の曲としてたいへんおすすめ。ピアノと手拍子だけなのに実に見事に盛り上がるアレンジに仕上がっている。

・マンフレッド交響曲チャイコフスキー
Tchaikovsky: Manfred - ロンドン交響楽団 & チャイコフスキー

 第二話『ある天使の想い出に』の冒頭でエビチリが振った曲。チャイコフスキーの最長の、そして最も演奏に恵まれない交響曲だ。長いせいもあるが、なんといってもオルガンが必要なことが痛い。オルガン付きの交響曲というとサン=サーンスの第3番が有名で、あちらはうまくオーケストラと融和するように使っているが、『マンフレッド』のオルガンの使い方はそれはもう良く言えばインパクト極大、悪く言えばめちゃくちゃ無理矢理で、はじめて聴くとびっくりすること請け合いだ。チャイコフスキー交響曲の中でもいちばん評価されていない曲で、録音例も他に比べて少ない。この曲を例外的に高評価していたユージン・オーマンディの指揮でどうぞ聴いていただきたい。

・ヴァイオリン協奏曲(ベルク)
Berg: Violin Concerto

 続いてユーリが登場してのアンコール曲。章題『ある天使の想い出に』はこの曲に附された献辞であり、標題でも副題でもない。アルバン・ベルクが友人の娘の少女の夭逝を悼んで書いた曲で、奇しくもベルク自身も作曲直後に亡くなっており、遺作となった。ベルクは12音技法の大家なので当然この曲も無調なのだが、ベルクの曲の中ではいちばん聴きやすいと思う。

・ピアノ協奏曲第5番変ホ長調ベートーヴェン
Beethoven : Concerto pour piano No. 5, Op. 73 & Sonate pour piano No. 30, Op. 109 - Von Weber : Concert-Stück, Op. 79 - グレン・グールド

 ライヴでトモがミックスした曲の片方。ベートーヴェン最後にして最大のピアノ協奏曲で、『皇帝』の通称で親しまれているが、例によってこの通称はベートーヴェンがつけたものではなく英国で出版されるときに勝手につけられたものが広まったものだ。しかし、強烈なトゥッティの間をきらびやかなピアノ独奏が駆け巡る特徴的な序奏がいかにも「皇帝陛下の御成!」な雰囲気なので、世界的にこの名前が通用している。ピアノ協奏曲のオールタイムベストを並べるとなるとかなりの確率でトップに挙げられる定番曲。ライヴで使われたのは第三楽章の躍動的な6/8拍子のロンド。
 作中で真冬の録音を使っているので、ここでもグールドのものをアフィる。グールド&ストコフスキーの『皇帝』といえばとにかく「遅い」ことで有名になってしまったが、聴いてみればわかる通り別に異常に遅いとは感じられない。むしろリズム構成が丁寧に聴き取れる名演だ。

・ヴァイオリン協奏曲(ベートーヴェン
Beethoven: Violin Concerto - イツァーク・パールマン, フィルハーモニア管弦楽団 & カルロ・マリア・ジュリーニ

 ライヴでトモがミックスした曲のもう片方。ベートーヴェンの唯一のヴァイオリン協奏曲で、これまたヴァイオリン協奏曲のオールタイムベストには必ず入るだろう名曲中の名曲。ティンパニの静かな4カウントで始まるという革命的な導入部を持つ。あまりにも特徴的かつシンプルなイントロなので、だれもパクれなかった。当時の作曲家はたぶんこれを聴いてみんな「こんな手があったかーっ!」と悔しさに悶絶したにちがいない。そしてもちろんテーマをいじくり回すことにかけては右に出る者のないベートーヴェンなので、この「1,2,3,4,ターン」のリズムはあちこちに姿を変えて顔を出す。
 ……と第一楽章を褒め称えたところで申し訳ないが、作中で使われたのは第三楽章の6/8拍子のロンド。この楽章、テンポも楽想もコード進行も前述のピアノ協奏曲第5番のロンドとそっくりであり、キーは半音ちがうもののピッチシフトして重ねるとひとつの曲になる。なるはずである。だれか実際にやってくれないだろうか。

・Star Spangled Banner(ジョン・スタフォード・スミス)
Star Spangled Banner (Live At Woodstock) - Experience Hendrix - The Best of Jimi Hendrix

 ライヴの最後の曲。ジミ・ヘンドリクスウッドストックで披露したアメリカ合衆国歌の伝説的な演奏。ここからPurple Hazeにつながっていてしょんべんちびるくらいかっこいい。というかPurple Hazeがかっこいい。

展覧会の絵ムソルグスキー
展覧会の絵 - 辻井伸行

 第三話『リズムセクション』冒頭、音楽準備室で真冬が弾いていた曲。「リモージュの市場」から「カタコンブ〜死せる者による死せる言葉で」がちょうど真冬の弾いていた部分。
 ムソルグスキーによるピアノ組曲として生み出された本作は、おびただしい数のカバーを生み出したわりに、ラヴェルによる管弦楽版などが有名になりすぎて、原典のピアノ独奏版は忘れかけられていた。お聴きいただければわかる通り、そもそもが非常に管弦楽的に作られていて、減衰音楽器であるピアノでしっかり聴かせるのは非常に難しい。管弦楽版とピアノ版が両方入っているCDが都合良くあったのでそれをご紹介。

・Born to Run(ブルース・スプリングスティーン
Born to Run - Bruce Springsteen & the Street Band, Live 1975-85

 神楽坂が体育祭のリレーのときにすり替えた曲。スプリングスティーンの代表曲で、アメリカの底辺で戦い抜く者たちのエネルギーを歌った名曲中の名曲。キーボードがかなり前面に押し出されたアレンジながらスプリングスティーンの歌声のおかげでまったくハードさを失っていない。この曲は絶対にライヴ盤で聴いていただきたい。スプリングスティーンは典型的な「ライヴで化ける」アーティストで、その真価はスタジオアルバムだけを聴いていても絶対にわからない。

展覧会の絵エマーソン・レイク&パーマー
Pictures At An Exhibition - Emerson, Lake & Palmer

 第四話『つないだ名前』冒頭に登場するアルバム。前述のムソルグスキーの曲のEL&Pによるロックアレンジ。どちらかというとラヴェル版を参考にアレンジしたのではないかと思われる。もともとレコードとして出すつもりはなく、ライヴ限定の曲だったものが、海賊版が出まくってしまったために対抗するためにやむなく発売したのだとか。
 途中にオリジナルの歌やブルース風のアドリブのぶつけ合いが挟まれていたり、終曲『キエフの大門』にも泣けるほどかっこいい歌がつけられていたり、キースによるオルガン破壊パフォーマンスの強烈な音が聴けたり、とEL&Pのライヴのすさまじさをたっぷり味わえる。正式音源としてリリースしてくれてほんとうによかった。アンコールの『くるみ割り人形』(チャイコフスキー)のロック版がこれまた素晴らしい出来。

・ヴァイオリンソナタ第9番イ長調
Sonata for Violin and Piano No. 9 in A, Op. 47,

 ユーリと真冬がスタジオで競演した曲。ルドルフ・クロイツェルという高名なヴァイオリニストに献呈されたため、『クロイツェル・ソナタ』の通称で知られている。ヴァイオリンソナタ中の最高傑作との呼び声も高い情熱的な曲。僕もこれがヴァイオリンソナタの頂点だと思う。
 ベートーヴェンよりも前の時代では、ピアノとヴァイオリンによるソナタという形式はあまり洗練されておらず、たとえばモーツァルトは45曲もヴァイオリンソナタを書いているが、なんと初期作品では「ヴァイオリンは任意(なくてもいい)」などと書かれていたり、フルートだのオーボエだのに置き換えて演奏されてもいたりで、いかにヴァイオリンが軽視されていたかがわかろうというもの。
 この第9番イ長調ベートーヴェンが「協奏曲風に競って奏されるヴァイオリン助奏つきピアノソナタ」とわざわざ題しており、実質イ短調である第一楽章の口喧嘩みたいな両者のせめぎ合いは手に汗握る緊張感を持っている。

弦楽四重奏曲第1番《クロイツェル》(ヤナーチェク
Janácek: String Quartets - No. 1

 ナオと真冬がギターとベースで競演した曲。解説は作中でほとんどしてしまったのでここでは割愛。二人が演ったのは第一楽章のみ。

・Blackbird(ビートルズ
Blackbird - Piano Jazz -The Beates-

 第五話『クロウタドリの歌』で真冬が弾いた曲。いつものあの曲のピアノ版。ちょうどよくジャズピアノアレンジが見つかったのでご紹介。これがなかなか良い。でも真冬はジャズの素養はないのでもう少しちがうアレンジをすると思う。

       * * *

 雑誌などに掲載した番外編的短編を本編の頭にしれっとした顔で組み込むというせこい技を、僕はもう何度もやっているのだが、この『さよならピアノソナタ3』が記念すべき一回目だった。我ながら巧く次の展開につなげられたものだなあ、と思う。電撃文庫MAGAZINEに『女王様の歌合戦』を寄せたときは、まだ三巻を書くかどうかすら決めていなかった。さて三巻を書くかという段になってまず決めたのは、ナオの恋のライバルを出そうということだった。担当編集に提出したプロットには、どんなライバルなのかまでは書いていなかった。決まっていなかったからだ。強力なライバルにしなければ、ということで最初はナオよりひとつ歳上の18歳、超イケメン超天才の鼻持ちならないやつ……みたいなキャラを考えて書き出そうとしてみたが、どうにも気が乗らない。そんなキャラ出して楽しいか? と自問し、二週間くらい悩んだ末に生まれたのがユーリだ。思い止まってほんとうによかったと思う。担当編集も「まさかこんなキャラとは思いませんでした」と驚きながらも僕の選択を支持してくれた。
 ユーリのモデル(外見以外)となったのは、もちろんヤッシャ・ハイフェッツだ。外見は、たしかネットのどこかで見かけた海外の美形子役をイメージしていたのだが、植田さんの描いてくれたイラストがあまりにはまっていたのでそのイメージは吹っ飛んでしまって思い出せない。

神曲プロデューサー

 今さら僕が言うまでもないことだが、宇多田ヒカルは可愛い。
 しかし、宇多田ヒカルが可愛いことはみんな知っていても、宇多田ヒカルがものすごく可愛いことや、宇多田ヒカルがめちゃくちゃ可愛いことや、宇多田ヒカルがあり得ないくらい可愛いことまでは知らないのではないだろうか?

       * * *

 高校卒業後の一時期、僕は同じ高校出身のひとつ歳下の後輩H君とデュオを組んでいた。
 デュオといっても、なにか目立った活動をするでもなく、週に一回か二回、真夜中に落ち合って、スタジオでデモテープを作ったり、ビルの屋上でギターを鳴らしながらハモって階下の住人に怒られたり、河川敷でだべりながら「まずは吉祥寺の駅前でストリートライヴからかなあ」なんて有言不実行ぶりを晒したりしていただけだ。
 僕は20代最初の、H君は10代最後の、それぞれ貴重な時間を無駄遣いしていた。このまま二人でだらだら歌っていてもどこにもたどり着かないことはお互いわかっていた。けれど、どちらからも言い出せなかった。僕は夢をあきらめるにはあまりにも働く気力がなさすぎたし、H君は夢をあきらめるにはあまりにも歌がうますぎた。なにひとつ成し遂げられないまま30過ぎてどうしようもなくなった自分を想像するには二人とも若すぎた。

 ある夜、H君の車に乗って、行くあてもなく真夜中の川崎街道を西へと走っているときだった。会話が途切れ、信号がいくつも流れ過ぎ、やがてH君はなにか答えを探すみたいにしてカーラジオをつけた。若い女の子のパーソナリティがきらきらした声できらきらした近況を喋っていた。どこにでもいる可愛らしい普通の女子高生みたいな喋り方だったので、だいぶたって音楽がかかるまで、それが宇多田ヒカルだと気づかなかった。

 宇多田ヒカルの歌声はほんとうに独特だ。ハスキーヴォイス、の一言ではとても表現しきれない味がある。もし黄金が錆びることがあるのだとしたらあんな味になるのではないかと思う。けれどラジオで楽しそうに冗談を飛ばす宇多田ヒカルの声からはあの歌声の深さと苦味はまるで感じられなかった。宇多田ヒカルだと知らずに聴いているときにまず一度惚れた。
 記事を書き出す前は「これが僕のFirst Loveだった」みたいな締めにするつもりだったが、実際に文章にして自分で読み返してみたところあまりにも寒すぎるので削除した。僕にも羞恥心はある。

「ああ、これ、宇多田ヒカルだ」とH君は言った。
「ほんとだ。なんか普通の女子高生みたいに聞こえる」と僕は答えた。
 宇多田ヒカルは僕の五歳下なので、実際に当時は女子高生だった。どこにでもはいないし、まったく普通ではないが、可愛らしい女子高生だった。宇多田ヒカルだと知ってからもう一度惚れた。
 府中の僕のアパートまで戻ってきて、僕はH君の車のトランクからギターを下ろし、来週どうするといった話もせずに別れた。以来、彼とは知り合いの葬式で一回顔を合わせたきりだ。

       * * *

 十年以上が過ぎて、僕はtwitter上で宇多田ヒカルと再会した。くまの魅力について一心につぶやく彼女は、H君と僕のモラトリアムを蹴り壊してくれたあの頃と変わらず破壊的に可愛らしくて、僕はみたび惚れた。これが僕のThird Loveだった。あっ、けっきょく書いてしまった。

 そんな宇多田ヒカルの、僕しか気づいていない可愛さを世間に伝えるために書いたのがこの物語である。

 しかし、発売してしまった今、少し怖い。ひょっとすると世間もとっくに宇多田ヒカルが死ぬほど可愛いことに気づいているのではないだろうかという恐怖だ。だが、僕にはこの本という強固な証拠がある。とっくに気づいている人間が何万人いようと、最初に(単行本という形で!)明言したのは僕であるはずだ。現在、実用新案権の申請を検討中である。

神曲プロデューサー(まじめ)

 昨日のアレではアフィれるものもアフィれない気がしたのでまじめな記事も書くことにする。いや、アレだって大まじめに書いているのだが、それはそれ。

 集英社から手紙をもらったのは一昨年の二月だった。手紙、である。郵便で仕事を依頼されるのははじめてのことだったのでかなり驚いた。あとで訊いてみたら推理作家協会経由だという。ありがとう推理作家協会! この仕事だけでもう年会費の元が取れた。
 とりあえず小説すばるに短編を一本書いてもらいたいとのことで、担当編集I氏のリクエストは「音楽もので、いつものように可愛い女の子が出てくるやつ」だった。そこで僕が提案したのが「音楽美味しんぼ」である。美味しんぼ山岡士郎がなんでもかんでも料理によってトラブルを解決してしまうみたいに、なんでもかんでも音楽でトラブルを解決してしまう話はどうだろうか? うまくいけばシリーズにできるんじゃないだろうか?
 この「音楽美味しんぼ」は話を説明するのにかなり便利なキャッチコピーであったらしく、実際に編集部内ではこの企画名で通用していたという。

 読んでいただければわかると思うが、ぜんぜん美味しんぼではない。あの本当に「なんでもかんでも」料理で解決してしまう力技はちょっと余人の真似できるものではない。代わりにというかなんというか、半端者のスタジオミュージシャンがプロデューサーになっていく過程を描く「音楽業界もの」になってしまった。結果としてこれでよかったのだと今なら思う。短編ごとにゲストキャラクターが登場してトラブルシューティングする流れなのは美味しんぼ風味にしようとした当初の企画の名残だ。雑誌連載は途中で担当編集が変わっているのだが、後半に出てくるゲストキャラには二代目編集T氏の趣味がかなり反映されている。第四話の窪井拓斗などほとんどT氏のリクエストだけでできあがったキャラだ。

       * * *

 連載時にシリーズタイトルを決めていなかったので、単行本化にあたって題名をつけなければならなくなった。そもそも最初にタイトルが決まっていない作品は後から悩みに悩むのが常だが、とくにこれは今まででいちばん難航した。複数案を送ってはボツ、送ってはボツ……を繰り返した。自分でも提出したタイトル案がぴんとこないことは自覚していたので、たいそう苦しい時期だった。救ってくれたのはボツを出しまくった当の初代担当I氏である。
「第一話に出てくる『神さまの音楽』っていうの、印象的だからなにか使えないですかね……」
「私も一案考えたんですけど、『○○曲プロデューサー』ってどうでしょうか……」
 電話の最中に出てきたこの二つの発言をなにげなく結びつけたとき、稲妻が走り、ご覧の通りのタイトルが生まれたわけだ。八割がたI氏のアイディアだといっていい。いや、ここは、タイトルに関してはI氏がアーティストで僕の方がプロデューサーだった――と言っておくべきだろうか。

 英題"DIVINE MELODY PRODUCER"は、デザイナーさんがカバーに英題も入れたいらしいのでなにか考えてくれ……と言われて急造した。ダンテの『神曲』の英題である"DIVINE COMEDY"のもじりだ。なにもかもぴったりハマりすぎていて自分でも怖い。
「タイトル? ああ、英題も含めて最初から決まってましたよ、天から降ってきたんです」
 ……みたいな嘘を書こうかという誘惑に抗うのに今も必死だ。

 ということで神曲の部分の読み方は「カミキョク」でも「シンキョク」でもOK。I氏は「カミキョク」、僕は「シンキョク」と呼んでいる。「カミキョク」って発音しづらくないだろうか。噛んでしまう。カミだけに。

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 こんな締めではやはりアフィれるものもアフィれないかもしれないのでもう一度貼っておく。

さよならピアノソナタ2曲目解説

 旧ブログ消滅にともない、過去作の解説記事を書き直し中。
 ネタバレの記事なので未読の人は下のアフィリエイトをクリックして買って読んでから続きを読みましょう。

 この巻には歴史的価値がある。なぜかというと、僕が池袋で仕事場を借りるようになってから最初に書いた一本だからだ。といっても当時はまだ府中市に住んでいて、片道50分の電車通勤だった。著者プロフィールに書いてある引っ越しというのも府中市内での引っ越しである。この後、一年とたたずに池袋に転居する。ほんとうに馬鹿馬鹿しい無駄遣いをしたものだ。
 読者に全然関係のない話はさておいて、この『さよならピアノソナタ2』はシリーズ中最も苦労した巻でもある。だいたいにおいてシリーズの第二巻はいちばん難しい。初巻は設定を話の筋に合わせていくらでも調整できるし、三巻以降は初巻→二巻→というベクトルが生まれているので考える範囲が狭まって楽になるのだが、二巻はそのどちらのメリットもない。選択肢は無限にあるくせに制約もしっかりあるので手間ばかりかかるわけだ。それに、そもそも『さよならピアノソナタ』はシリーズにすると決めて書き始めた話ではない。単発ものとしても成立するように初巻を書いた。続編といっても物語のエンジンは最初から暖め直さなければならない。
 そんなわけで、前巻における唯一のバンドセッション曲を話の出発点に持ってくることにした。

Kashmirレッド・ツェッペリン
Kashmir (Live) - Celebration Day (Live At O2 Arena, London)

 エビチリに聴かせたテープの曲だ。
 お読みいただければわかるとおり、第一巻はバンド小説ではない。バンドで全然演奏していないからだ(結成する前の話だから当たり前なのだが)。第二巻からがバンド小説である、という決意表明も込めた選曲である。
 Kashmirは2007年の一夜限りの再結成コンサートの演奏がほんとうに鳥肌が立つくらい素晴らしいので、今回はそちらをアフィリエイトした。プラントの声など全盛期よりも伸びがいい。ギターが一本の演奏なので、シンセサイザーのパートがよく聴き取れると思う。そちらのパートが、作中では真冬が弾いているパートだという想定である。

交響曲第9番ホ短調新世界より》(ドヴォルザーク
Symphony No. 9 in E Minor, Op. 95,

 真冬とナオが夕暮れの橋の上で聞いた市内放送の曲。第二楽章のコーラングレの旋律はドヴォルザークの最も有名な一節だろう。歌曲にアレンジされて広まっているのでドヴォルザークと知らずに節回しだけは記憶している人も多いかもしれない。
 この交響曲は有名曲だけあって星の数ほどの録音が存在するのだが、僕は終楽章の締めくくりの終止音で好みかどうかを判断することにしている。全合奏でジャンと終止した後で管楽器だけが音を伸ばし続けてデクレシェンドするように指示された実に独特の終幕で、僕はこの部分を聴くといつも夕陽に向かって飛んでいく鳥を見送る光景を思い浮かべてしまう。ここの「音の抜き方」がいちばん絶妙なのがカラヤンベルリンフィルとの録音をここではおすすめする。

・The Endless Enigmaエマーソン・レイク&パーマー
The Endless Enigma (Part One) - TRILOGY

 千晶が部屋に入ってきたときにナオが聴いていた曲。伝説的なキーボードトリオEL&Pの4thアルバム(『展覧会の絵』を3rdとして数えれば)である『トリロジー』のオープニングを飾る曲で、中間部にすさまじいフーガが挿入されている。EL&Pの中ではいちばん好きなアルバムなのだが、たいへん評価が低い。なんでだろう。The Sheriffのエンディングのピアノソロとかほんとすごいのに。和声的にポップで聴きやすい曲ばっかりだからだろうか。

Hotel California(イーグルス
Hotel California - Hotel California

 神楽坂と千晶とナオだけで部室で練習した曲。イーグルスの代表曲。
 流行り廃りが常の音楽の世界にあって、ごくごくまれに「永遠に新しい曲」というものが生まれてしまうことがあるのだが、この歌はまさにそれだ。いま聴いても新しい。たぶん永遠に新しいだろう。
 ギターが何本オーバーダビングされているのかについては諸説あり、13本ではきかないという意見もある。僕の貧弱な耳では残念ながらまったく見当もつかない。

ブランデンブルク協奏曲第5番ニ長調(バッハ)
Brandenburg Concerto No. 5 in D Major, BWV 1050: I. Allegro - Glenn Gould in Concert (1951-1960)

 真冬が音楽準備室でひとりで弾いていた曲。大バッハが六曲まとめて作った合奏協奏曲で、ブランデンブルク伯に献呈されたためにこの通称で呼ばれている。この時代の「協奏曲」は後世のそれとはちょっと性格がちがっていて、オーケストラは小規模だしソロパートをつとめる楽器も複数あることが多かった。そんな中、第5番ではなんとチェンバロがソロを受け持っている。当時のチェンバロは音量が小さくてとても協奏曲の主役を張れる楽器ではないと思われていたのだが、バッハは新型のかなり音量が出るチェンバロを手に入れ、大喜びでチェンバロ主役のこの曲を書いたようなのだ。「史上初のピアノ協奏曲」なんて呼ばれることもあるがさすがに誇大広告というものだろう。
 せっかくなのでグールドの演奏をアフィリエイト。真冬が弾いていたのは6:57からの長大なカデンツァの部分。

・海へと(奥田民生
海へと (LIVE SONGS OF THE YEARS Ver.) - OKUDA TAMIO LIVE SONGS OF THE YEARS

 合宿に行く道で弘志がかけていた曲。もともとは奥田民生PUFFYに提供した曲だが、お気に入りのロックナンバーで、自分でもよくライヴで演奏している。そんなライヴ音源をアフィリエイト。これはもう完全にタイトル優先で選んだ曲。しかし文句なくかっこいい!

・He-Man Woman Hater(エクストリーム)
He-Man Woman Hater - Pornograffitti

 合宿の練習で演った曲。
 実はこの曲こそが『さよならピアノソナタ』の出発点、つまり、「クラシックをエレクトリックギターで弾く」という真冬の演奏のイメージの原型となった曲である。イントロのとてつもなく長いギターソロの後半、ライトハンド奏法になる部分をはじめて聴いたとき、「和声進行がなんかクラシックっぽい……」と感じたことが僕の中にずっとこびりついていて、長い長い年月を経てこの小説の基本アイディアにつながった。(実際このイントロはリムスキー=コルサコフの『熊蜂の飛行』をもとにしているのではないかという説もある)
 僕は実のところエレキによるクラシック曲の演奏を聴いて良いと思ったことが一度もない。真冬のプレイはまったくの概念上だけの理想だ。その理想の糸口は、しかし、エクストリームにある。
 なにかとイントロばかり注目されがちな曲だが、リフがほんとうにかっこいい。ギターリフの最高傑作のひとつだと思う。ヌーノ・ベッテンコートは「緩急の妙」を実によく心得ている。

・イスラメイ(バラキレフ
Mili BALAKIREV: Islamey - keleti fantázia zongorára - Oriental Fantasia for piano - Great Hungarian Musicians

 神楽坂が真冬の家から盗み出してきたテープの曲。バラキレフといったらこれ。そして「世界一難しいピアノ曲」といったらこれ。だいぶ看板が独り歩きしてしまっているきらいはあるが、バラキレフが寡作かつ指導者として優秀だったこともあって、今でも崇められ続けている。

・The Last Resort(イーグルス
The Last Resort - Hotel California

 ライヴのオープニング曲にして、この巻のクライマックス曲。
 僕はこの曲の存在を、すでに中学校時代に知っていた。とある体育教師が保健の授業のときに、コンドーム装着法についてたっぷり40分しゃべった後でこの曲の話をしてくれたのだ。どういうつながりでイーグルスの話題になったのかはまったく憶えていない。「イーグルスのアルバムの最後に入ってる曲で、すごくいい曲なのだ」というようなことを言っていたことしか記憶にない。なんと、曲名もアルバム名も憶えていなかったのである。それでも、十年以上たってアルバムHOTEL CALIFORNIAを買って最後まで聴いて、すぐにわかった。先生が言っていたのはこの曲だ、間違いない、と確信できた。それくらいすさまじい存在感を持つ曲なのだ。
 歌詞の最後の一節"kiss it goodbye"は作中にも登場させたが、どう訳していいのか今でも悩んでいる。意味としては「惜しみながらも別れを告げる」というニュアンスなのだが、真っ正直に訳したのでは風情もなにもあったものではないし……。

ピアノソナタ第30番ホ長調ベートーヴェン
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 Op. 109 - III. アンダンテ・モルト・カンタービレ・エド・エスプレッシーヴォ -変奏 I - VI - ベートーヴェン: ピアノソナタ 第30-32番[グレン・グールド/ナクソス・ヒストリカルシリーズ]

 前述のThe Last Resortの伴奏に使われた真冬のピアノ演奏曲。第三楽章の最初の小節からスリーコードをサンプリングして切り貼りしてピアノ伴奏に仕上げている、という想定で書いた(The Last Resortとほぼ同じ和音で始まるのが聴き比べればわかると思う)。実際にやってどうなるのかはわからない。
 グールド最愛のベートーヴェンソナタなので、つまり真冬にとってもいちばん好きな曲だという設定になっている。

・Desperado(イーグルス
Desperado - Desperado

 最後にナオ抜きの三人で演奏していた曲。
 実のところ、僕はイーグルスがそこまで好きではない。この巻に登場させた三曲は、だから、イーグルスの中では「特別に好きな曲」だ。あと気に入っているのはNew Kid in Townくらいだろうか。他の曲はあんまり聴かない。一冊丸ごと通してテーマ的に扱っているのを見てひょっとしてイーグルスファンなのかと思われてしまうとちょっと困るので、ここで謝っておく。つまみ食いですみません。

平均律クラヴィア曲集第2巻第1番ハ長調(バッハ)
Prelude & Fugue No. 1 in C Major, BWV 870: Fuga - Bach: The Well-Tempered Clavíer, Book II, BWV 870-877

 あとがき曲。前巻に出てきたのは第1巻の最初の曲、一方こちらは第2巻の最初の曲。全体的に第2巻の方が充実していて聞き飽きない。
 この演奏を収録したレコードを載せたボイジャー1号は現在、160億kmの彼方の宇宙空間を、まだ見ぬ地球外生命体の星へ向けて、なお航行中だ。異星人もこの美しさを理解することを願ってやまない。

       * * *

 "feketerigó"の発音はこれこれを聴けばわかるとおり、「フェケテ・リゴー」だ。「オランダ生まれのハンガリー人なのでgが濁らない」なんていう屁理屈をこねてまで「フェケテリコ」という読み方にしたのは、単純にそう読んだ方が(日本人としては)字面も音も綺麗だからだ。ハンガリーのみなさんごめんなさい。
 クロウタドリはドイツ語では「アムゼル」、スペイン語・イタリア語では「トゥルドゥス・メルラ」、フランス語では「メッル・ノワ」……。どれもバンド名としてはしっくりこない。真冬の母親をハンガリー人という設定にしておいてほんとうによかった、と思う。

さよならピアノソナタ曲目解説

 旧ブログが消えたので、さよならピアノソナタ楽聖少女の解説記事がデッドリンクになってしまった。そこでこちらのブログでこつこつと書き直すことにする。当然ながら小説もアフィるので一石二鳥だ。ネタバレ全開の記事となるので、未読の人は下記のアフィリエイトをクリックして購入して小説を読破してから記事の続きを読みましょう。

 なんと、もう六年も前の本である。思えば遠くに来たものだ。
 僕がはじめて書いた音楽ものなのだが、実は前身となるボツ企画があった。トラブルを抱えた音楽少女を少年が助ける……という構図は同じだったけれど、とにかく地味で、いま企画書を読み返してみてもほんとうにどうしようもない話だ。ボツを告げた後で編集さんは言った。とにかく、ヒロインのキャラは強烈に憧れてしまうようなものでなくてはいけない。うむ、なるほど。よろしい、やってやろう。憧れる要素を極限まで詰め込んでやろう。
 物語を組み上げていく手順はいくつもあるが、『さよならピアノソナタ』はキャラから出発する創り方だった。真冬というキャラ、具体的には「ギターも弾きこなす天才ピアニスト」という設定がまずあって、そこから「なぜピアニストがギターを弾いているのだろう」という自問自答を経て話を広げていったわけだ。当然、どんな曲をギターで弾くのかと考えたとき、ピアノ曲という案がまず出てくる。

ハンガリー狂詩曲第2番嬰ハ短調(リスト)
ハンガリー狂詩曲(リスト) - debut

 ギターで弾くピアノ曲ではったりが利くものとして最初に思いついたのがこれだ。真冬が練習室で弾いていた曲である。同音連打の上を旋律が跳ね回る主部はギター一本で弾ければたいそう映えることだろう。
 リストのピアノ曲は今までだれの演奏を聴いてもしっくりこなかったのだが、辻井伸行の信じられないくらい柔らかい演奏に出逢ってはじめて「これだ」と思えた。おすすめ。

・練習曲第12番ハ短調"革命"(ショパン
12 Etudes, Op. 10: No. 12 in C Minor

 次に真冬がギターで弾いていたのがこれ。こちらはそこまでギター映えしない曲だと思う。それなのになぜ採用したのかといえば、もちろんこの場面が革命家・神楽坂響子の初登場シーンだからだ。このような、音楽的にはベストとはいえないが物語的にはこれしかない、という選曲はこれ以降も頻出する。

 続いて、この小説のロックの側を象徴するのがこの曲。
・Roll over Beethoven(チャック・ベリー
Roll over Beethoven - Chuck Berry: His Best, Vol. 1

 ナオが教室で聴いていた曲だ。CDウォークマンで聴いているところが時代を感じさせる。当時僕がまだiPodを持っていなかったせいもあるが、「CDを見つけて取り出す」というアクションがあった方が作劇上の効果が高いからという都合もあった。
 チャック・ベリーは文字通りロックンロールの生ける伝説で、この曲も、おそらくカバーで聴いた人の方が多いのではないかと思われる。もちろん僕も最初に聴いたのはビートルズ版だった。

Kashmirレッド・ツェッペリン
Kashmir - Physical Graffiti (Remastered)

 そしてナオが最初にセッションする曲がこれ。僕がツェッペリンでいちばん好きな曲だが、そういう理由でここで採用したわけではなく、たぶんD音を八分音符で刻んでいるだけでそれなりにかっこよくなるだろうなと思ったからだ。もちろん実際にはジョーンズはもっと複雑なことをやっている(というかこの曲でいちばん難しいのはおそらくベースである)。ジャムセッションのための曲として非常に便利なのでこの後の巻でも何度か登場する。

・Revolution(ビートルズ
Revolution - Past Masters, Vols. 1 & 2

 神楽坂が屋上で弾いてみせた曲。これも題名先行の選曲、というか、ジョン・レノン=革命家というイメージを作中で強調するために持ちだした曲だ。ホワイトアルバムに収録されているクソ遅いバージョンもあるが、ここでは速いバージョンで弾いている。ベースではどう弾いたって様にならないと思うが、そのへんはフィクションの美しい嘘ということで納得していただきたい。

・Stand by Me(ベン・E・キング
Stand By Me - Stand By Me

 ナオが屋上で練習した曲。作中に書いた通り、世界で最も有名なベース・リフを持つ曲である(異論が百出することが予想されるがすべて間違いであると断言できる)。あまりにもベースラインが有名なので、後に数え切れないほどカバーされているのだが、ほとんどのアーティストはこのリフを使っていない。使うと原曲を超えられないとわかっているからなのだろう。

エロイカ変奏曲(ベートーヴェン
Beethoven: Eroica Variations; Bagatelles - グレン・グールド

 ナオと真冬の対決曲。ベートーヴェンがとくに偏愛し、その生涯で四度にも渡って使い回した旋律の、三度目の使用例がこの曲となる。
 この曲が、さよならピアノソナタ第1巻の核となった。この曲をめぐるロジックを思いついたとき、この話はいける、書ききれる、という確信を持てたわけだ。そのロジックは作中で神楽坂が詳しく解説しているのでここでは割愛する。主人公がベーシストでなければならなかった理由もエロイカを弾いて勝つという戦術のためだ。
 ひとつだけ心残りがある。それは、チューニングを半音下げにしてホ長調で弾いてもあまり弾きやすくならないということだ(だれからも指摘されなかったので気にしているのは世界中で僕だけみたいなのだが……)。とにかくE♭とその四度下のB♭の音が頻出するので、「半音上げチューニングにしてニ長調」で弾く、と書くべきだった。

Layla(デレク&ドミノズ)
Layla - Complete Clapton

 千晶が窓から侵入してきたときにナオが聴いていた曲。今読み返してみたら作中に曲名が出ていなかった。でもまあデレク&ドミノズの曲でいったん静まってピアノリフが始まる曲なんてこれしかないのでみんなだいたいわかったと思う。
 この曲、なぜかチューニングが通常よりかなり高めなので、CDに合わせてピアノを弾いても音が合わない。哀しい。

・ヴァイオリン協奏曲第1番《春》(ヴィヴァルディ)
The Four Seasons - Spring: I. Allegro - Vivaldi: The Four Seasons

 廃品回収業者のトラックが流していた曲。イ・ムジチ合奏団のこの曲集は、おそらく日本でいちばん売れたクラシック音楽のレコードではないだろうか。学校の校内放送や音楽の授業などで聴いたことがある人も多いだろうが、かなりの確率でイ・ムジチ版だと思う。日本人のヴィヴァルディ観は彼らがつくってしまったといっても過言ではない。

Hey Judeビートルズ
Hey Jude - Past Masters, Vols. 1 & 2

 山の中を歩いているときにナオが口ずさんでいた曲。言わずと知れたビートルズ最大のヒット曲。これも歌詞先行の選曲である。こんな曲を伴奏もなしに女の子を担いで切れ切れの声で歌って「まし」に聞こえるわけはない。文章だからゆるされる暴挙だろう。

平均律クラヴィア曲集第1巻第1番ハ長調(バッハ)
Bach: The Well-Tempered Clavier, Book I, BWV 846-853 - Glenn Gould

 真冬がゴミ捨て場で弾く曲。クライマックスなので、こちらはイメージ優先で選曲した。フーガを含むことや白鍵の多い曲であることは条件としてあったが、このシーンを書き始めるだいぶ前からすでに選曲は固まっていた記憶がある。

・Blackbird(ビートルズ
Blackbird - The Beatles (White Album)

 夜明けにナオが歌っていた曲。この小説の、ひいてはシリーズ全編を通してのテーマソングとして選んだ。後に自分で練習してみて知ったことだが(そしてポールの実際の演奏を見て確認したが)、この曲のギターはスリーフィンガーではなくツーフィンガーだった! G音の十六分音符の連打は人差し指のアップダウンで弾くのである。僕の当時の音楽知識の未熟さを象徴する記述だ。読み返すたびに恥ずかしいが、自戒のためにも重版訂正せずそのままにしてある。

ピアノソナタ第26番変ホ長調《告別》(ベートーヴェン
Beethoven: Favourite Piano Sonatas - Pathétique, Moonlight, Tempest, etc - マウリッツィオ・ポリーニ

 最後に真冬から届くテープに入っていた曲。「さよならピアノソナタ」という題名の由来になった、ベートーヴェン中期の名曲。この時期のベートーヴェンにしてはあり得ないくらい素直な曲で、第一楽章・第三楽章とも第二主題を属調変ロ長調)にとった実に模範的なソナタ形式で書かれている。根拠のない想像だが、ルドルフ大公に弾いてもらうためにある程度やさしく書いたのかもしれない。
 この曲が登場するエピソードは初稿には存在しなかった。小説の題名も「さよならピアノソナタ」ではなく、前述のBlackbirdからとった「クロウタドリの歌」だったのである。これに編集さんが「地味だ」と難色を示し、僕は反発したものの、二週間ほど呻吟したあげく、真冬からテープが届く展開を付け足し、現在のタイトルを提案したのだ。今になって振り返ってみればどうして反発したのか自分でもわからないくらい当然の指摘であり、タイトルを変更してほんとうによかったと思う。

・ピアノ協奏曲ニ長調ラヴェル
Second Piano Concerto In D Major (For The Left Hand) - 50 Greatest Piano Pieces Ever Composed

 最後に回してしまったが、真冬が最初にナオとゴミ捨て場で出逢ったときに弾いていた曲。物語のはじまりになったアイディアで、存在自体がネタバレなので最後にご紹介する。片手だけだからといって音が薄っぺらくならないようにと実に巧妙に創ってある曲なのが聴いていただければわかると思う。

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 ところで以前の記事に登場したK君だが、彼はキッチンガイズファクトリーという会社に勤めており、僕がこの『さよならピアノソナタ』執筆当初「こんな小説をもうすぐ出すんだよ」と話したら「うちの会社からそっくりの設定のエロゲ出るよ!」と驚かれた。ベーシストの男が主人公で他に女の子が三人出てきてバンドを組む話なのだそうだ。「企画はうちが早いからそっちがパクリだ!」「発売はこっちが早いからおまえがパクリだ!」などと冗談で言い合ったものである。なにもかもが懐かしい……。